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No.209  村山 清貴(むらやま きよたか)

都電荒川線
乗務員

都電荒川線を運転して 26年の大ベテラン!

運転していて印象深いのは、季節をいつも感じられること

三ノ輪橋から早稲田まで、荒川区・北区・豊島区・新宿区の4つの区をまたいで、計30の停留所がある約12キロの区間を運行する「都電荒川線」。1両編成の車両が街中を走る様子は荒川区では昔からある馴染みの風景であり、荒川区民の〝日常の足〟として、毎日活躍しています。今回の主役は荒川区在住で、そんな荒川線の運転手を務めて26年になる村山清貴さん。現在、荒川線の運転手の中でも長いキャリアを誇る大ベテランです。
村山さんは、昭和48年に東京都交通局に入局。最初はバスの整備士、続いて切符などを印刷する同交通局の印刷工場に勤務、昭和59年に荒川電車営業所に配属となり、30歳で荒川線の運転手になりました。荒川線の運転手の1日の流れは、三ノ輪橋~早稲田の約120分の往復運転を2回行い、休憩後もう1回半、その往復運転を行うのが基本です。もちろん、朝5時台の始発のシフトのときもあります。村山さんは、これを26年間続けてきました。
「沿線の街並みも昔とは変わって、時代の移り変わりも見てきましたが、運転していて印象深いのは、やはり季節の変化をいつも感じられることですね。毎年のことですが、桜が咲いたり、バラが咲いたり、緑がいっぱいの夏があったり、雪に白くおおわれた冬があったり。これは地下鉄では味わえない、荒川線ならではの魅力でしょうね」と村山さん。特に荒川区の沿線では5月にはバラ、6月にはアジサイが咲くなど、都内の花の見所としても有名です。
また村山さんは、平成2年に登場した8501号という当時としては稀少な車両もよく運転したそうです。
「荒川線の車両は通常は2ハンドルですが、この8501号は当時1ハンドルでね。私はなぜか巡り合わせがよく、何度も運転しました。運転手の仲間内から、よくうらやましがられましたよ(笑)」。
さらに村山さんは、あらかわ遊園に展示されているあの「一球さん号」(都電6000形車両の最後の1台)も、車両の現役時代に運転したことがあるとか。
そんな村山さんに26年間の思い出を聞いたところ、「何か特別な出来事ということではなく、毎日が思い出ですよ」との言葉が返ってきました。荒川線は地元住民の日常の足であり、お年寄りの方々もたくさん乗車します。そんな多くのお客さんを乗せ、時間を忠実に守り、何事もなく、いつも通りの運行を常に行うことが何より大事。村山さんは26年間、その〝いつも通りの運行〟を心がけ、ずっと続けてきました。だからこそ、「毎日が思い出」なのです。とても重みのある言葉だと感じました。

いつまでも地域の人に愛される 荒川線でありたい

ところで荒川線には、たまに時刻表にはない運行が行われることがあるのを知っていましたか?
たとえば、サンパール荒川やあらかわ遊園では、コンサートやイベントなどがよく行われ、その日には大勢の人が訪れます。そうした方々が帰りの電車に困らないように、荒川線はその帰り時刻に合わせて臨時で運行することがあるのです。「今日はあらかわ遊園で降りるお客さんがかなり多いな」、「さっき夕方に通ったら、サンパール荒川の前にたくさん人がいたな」などと、催しのある日に運転手がそう感じたら、営業所にその旨をすぐ連絡し、操車担当が臨時運行を決める、といった流れです。つまり、催しがある当日の状況で臨機応変に対応しているのです。
ゴールデンウィークには、毎年のことですが、あらかわ遊園は来園者がとても多く、その対応はもちろんのこと、普段利用している人にも影響が出ないよう、一度に30車両も運行しました。地域の人々のことを一番に考えた、とても温かな荒川線の配慮がよくわかります。
「荒川線は、地域に根付いた電車ですからね。地域のみなさんのために、精一杯の対応をしていきたいと思います。乗車マナーを守って、みなさんが日常の足として気持ちよく乗れる・・・そんないつまでも愛される荒川線でありたいですね」