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No.203  阿久戸 光晴(あくどみつはる)

聖学院大学学長

荒川に住みたいという人が
もっともっとふえてほしい。


学長室の書架にはスピリットのこもった蔵書が並ぶ。 印象に残ったのは書棚の外に置かれていた、柳田邦男氏の影響で読み始めたという数々の絵本と「マルチン・ブーバー著作集」。
 

荒川区に生まれ育った者ならではの懐かしい記憶と強い愛着

埼玉県上尾市の聖学院大学チャペルにて。木の素材を生かした設計で、 天井はノアの方舟をモチーフにデザインされている。礼拝、式典、講義の ほか第一級の芸術家を招いてのコンサートも行われる。
「私は昭和26年生まれ。小さい頃には、まだ焼け跡がたくさん残っていました。学校が終わる午後4時には、そこで野球のための陣取り合戦が繰りひろげられていましたよ」
と、懐かしそうな表情で語る阿久戸光晴さんは、荒川生まれ荒川育ちの生粋の"荒川の人"。
聖学院大学学長で牧師でもある。その風貌と語り口は、穏やかで、温かみある人柄のにじみでるものだった。そして驚くほど若々しい。柔和な外見の裏には、おそらく熱い活力がみなぎっているのだろう。
阿久戸さんの、祖父の代に群馬県太田市から荒川区の尾久町8丁目(現・西尾久3丁目)に移り住み、今もそこに居を構えている。祖父は宮内庁御用達の和菓子舖を経営していたが、父はやがて店と工場をたたんで特定郵便局長の職に就いた。
「幼稚園は、自宅にほど近い宝蔵院の幼稚園でした。やがて住宅が次々と建ち始め、外から移ってきた子どもたちも増えました。子どもたちは小台橋近くの隅田川でよく泳いでいたし、私の休みのときの楽しみは川で小魚をとることでした。荒川の子どもたちの気風には、"悪いことは許せない"という下町風正義感があったことを、幼いながらに記憶していますね」
小学校は、両親の意向にそって文京区立誠之小学校に。そのことを語る阿久戸さんの口調は、少し残念そうだ。
「地元が好きでしたからね・・・。本当は荒川区の学校に通いたかった。
ですから、中学で日暮里の開成に入ったときは、それはうれしかったですよ。
開成は進学校の印象を持たれる向きが多いけれど、義侠心が強い、そんな雰囲気の、いい学校でした」
阿久戸さんの大学受験の年、東大紛争のあおりを受け、東大入試は中止となったため、当時の秀才の多くが選択したように、阿久戸さんが進学を決めたのは一橋大学社会学部。
同大1年生のとき、阿久戸さんは、ある運命的な出会いを果たす。北区西ヶ原の滝野川教会で、当時早稲田大学大学院生だった現荒川区長・西川太一郎と出会ったのだ。
「西川区長の父上と私の祖父が知己であったということもあり、話をするうち、興味関心の点で大いに共鳴する部分があって、すっかり意気投合してしまったのです」

地域をより良くしていくためにまず必要なのは共通のビジョン

「私は謙信が好きだったので、上杉鷹山も知り密かに尊敬していたのですが、J・F・ケネディがインタビューの中で"日本に鷹山という素晴らしい人物がいた"と語っているんです。それを聞いたのが中学生の頃。実は、西川区長もそのインタビューを知っていて、そんなことでも盛りあがりましたね。ケネディ兄弟の師である政治学者アーサー・シュレジンガーが尊敬する人物でも共通点がありました。そんなこんなで、"この問題をどう思うかね""この本は面白いですよ"などとたがいにやりとりする仲になったのです」
そうして、彼らの親交は、それぞれの進む道は違っても、その後も長く続くことになった。やがて、平成18年には、荒川区基本構想審議会会長となり、"新たな荒川区基本構想"を答申した。

「私ごときがのこのこ出かけて、現実離れしたことを提案するのでは困るので、区の職員の方と一緒に作るという条件ならば、ということでお引き受けしたのです。基本構想には、私が以前から感じていたことや、本学の総合研究所に属する都市問題研究会の成果も反映しました。
例えば、人口密度が高く高齢者の多い区であるにもかかわらず、子どもの頃から感じていたのは、道が細く狭い地域がたくさんあること。大好きな地元なんだけれども、そうした点を改善して安全面・衛生面に強い地域にしていかなければならない。そのほかにも、私なりの強い思いがありました。職員の方たちとは、よい共同作業ができたと自負していますし、また、区議の方の意見も政党を問わず大事にしました。しかし、何といっても一番学ぶことが多かったのは私自身でしたね」
答申は、題して「幸福実感都市 あらかわ」。内容はいうまでもないが、その言葉の選び方が素晴らしい。上滑らない前向きさ。そして、「アクションプランを実行していくためにはまず共通のビジョンがなくてはならない」という阿久戸さんの強い思いが、そこには表れている。
「"昼間区民"(住んではいないけれど荒川区で働いている人たち)を含めた荒川区民が主役である地域作りを目指してほしいですね。今日本のコアランナーになっている地域では、何より助け合いの精神が活気を生んでいます。数値目標を達成することよりも、スピリットこそが大事ではないでしょうか。偏差値やレッテルや差別を取っ払ったら、知恵とか人柄とか、眠っている"賜物"が見えてくる。そこから創意工夫も生まれるのだと思います」