トップ   >  荒川の人  >  No.200

No.200  志村 亜貴子(しむら あきこ)

女子野球ワールドカップ日本代表選手

野球は、自分の"生きがい"
ずーっと続けていきたい

兄ができなくなった野球を自分が受け継ぐ

2008年8月24日~29日に行われた女子野球ワールドカップ。全日本チームは前回大会準優勝の雪辱を見事に果たし、なんと6試合全勝という素晴らしい成績で優勝に輝いた。そのワールドカップで6番センターとして全試合に出場し、打率4割2分1厘、8打点、5盗塁の大活躍で、全日本チームの初優勝に大きく貢献したのが今回の「荒川の人」志村亜貴子さんだ。志村さんは、現在、荒川区内の運送会社アサヒ産業が設立した女子硬式野球チーム「アサヒトラスト」に所属。副キャプテンとしてチームを牽引し、チームのリーグ優勝、そして再び全日本チームに選ばれ世界の舞台で活躍することを目標に、懸命に練習に励んでいる。

志村さんが野球を始めたのは、故郷の北海道で暮らしていた小学4年生の頃。2歳上の次兄の影響からだった。お兄さんは少年団のエースで、野球センスは抜群だった。しかし、志村さんが小学3年生の冬に、ランニング中に心不全で亡くなってしまった。「兄は野球が本当に巧くて、カッコよかった。それを間近で見ていて影響され、私も自然と野球をやるようになったんです。もし兄が生きていたらプロ野球の選手になっていたんじゃないかな。私の中では、兄は今でも憧れの選手です」

お兄さんができなくなった野球を、果たせなかった夢を、自分が受け継ぐ。だから、自分は常に上を、女子野球のトップを目指したい。志村さんの野球魂には、そんな強い想いがある。

世界一の栄冠を手にしても驕りはない。常に上を見つめる

小学校では少年団で、中学校では部活で野球を続け、高校を経て入学した札幌の大学では軟式の野球チームに所属。この頃から女子野球のトップである全日本を本格的に目指すようになった。全日本は硬式野球であるため、志村さんは自分たちで硬式野球チーム「ホーネッツ」を立ち上げ懸命に練習を重ねた。全日本のセレクションに跳ね返されてもめげずに挑戦し続け、4回目で見事に合格。それからもさらに努力を重ね、ついに精鋭揃いの全日本チームでレギュラーを獲得。チームメイトと共に、前述した女子野球ワールドカップ初優勝の大きな原動力となった。女子野球のトップの全日本チームで、世界一という偉大な記録を刻んだ。
ひとつの大きな目標は達成したが、志村さんはまだまだ走り続ける。

「また全日本に選ばれるように頑張って、次は"受けて立つ"立場で世界一になりたいですね。それと、もちろんアサヒトラストでのリーグ優勝も目指したい。野球は、自分の"生きがい"。身体が動く限り、ずーっと続けていきたいです」
札幌のホーネッツから荒川区のアサヒトラストにやってきたのは、関東という、より強敵の多い女子野球の環境を望んでのこと。さらに、ガラリと変わった環境に身を置くことで、メンタル面も含めて成長したかったから。女子野球世界一の栄冠を手にしても、志村さんに驕りはない。お兄さんのために、女子野球をもっと広めるために、そして何より自分のために。志村さんの目は、常に上の世界を見つめている。