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No.194  対馬 康子(つしま やすこ)

俳 人
俳誌『天為』編集長、『麦』同人
読売文化センター(北千住校)講師

正気より狂気美し初の糶(せり)

わずか十七文字に思いを込めるやりがいと喜び

わたしたちは、俳人と聞くと、どこかしら古めかしく格式張った人物を思い描きがちである。しかし、少なくとも、対馬康子さんの場合は違う。装いこそ上品な和服というクラシックなスタイルで現れた彼女だけれど、お話をしてみると、全く気取りのない、しかも自由な発想をなさる方。そんな対馬さんが、俳句の道に進むことになったのは、なにがきっかけだったのだろう。

「高校時代は詩を書いていました。大学に入学した年、他大学の俳句会との合同ハイキングがありまして、それが俳句を始める機縁となりましたね」

俳句の素晴らしさに感動して

実は、その俳句会の学生のなかに、現在のご主人・西村我尼吾(がにあ)氏がいた。おそらく彼の影響は大きいに違いない。やはり、愛の力は偉大というべきか?

「たしかに、主人と出会ったこともきっかけではあります(笑)。それもありますが、なにより、今まで全く意識もしていなかった俳句というものに接して、俳句ってこんなに素晴らしいものなのか!”と純粋に心動かされたのが大いと喜びきいですね。橋本多佳子や山口誓子の句に新鮮さを感じました。“ああ、俳句でこんなことが詠えるんだ”という、大きな驚きと感動がありました」

「手鏡の背中恐ろし夏の恋」。この句は、そんな彼女の学生時代のものである。「俳句をもうやめようとかは思いませんでしたね。就職し、結婚しても、子どもを産んでも、主人と二人で俳句をするというのが日常でした。それが自然体でしたから。七年前からは、有馬朗人主宰の『天為』編集長として、特別号他毎月きちんと発行するために責任も増えました」

俳句は自分を表現するもの

ご主人との間には二男一女がある。家事に育児にと忙しい中でも、対馬さんは俳句を続けてきた。しかも、長男(その妊娠から出産までの思いは「月の子」と題した百句に結実している)がまだ幼い頃、ご主人の大学院留学に伴い、一家はアメリカに移り住んでいるのだ。

「俳句を作るというのは、自分を表現することですから、やりがいがあるし、喜びも大きい。しかもたった十七文字であるということの醍醐味とでも言いましょうか・・・。“あの最後の五文字をどうしよう”とずっと考えていることもありますよ。句作りに夢中になっている間は、四六時中考えていて、思い通りに仕上がった時は、それこそ“やった!”って感じです(笑)。

さすがに、アメリカに住んだ時は、悩みもしました。むしろ日本より四季ははっきりしているんです。でも、日本的な季語が合わないのでどうすべきかと。ただ、だれも詠んでいないことなので、かえってやりがいはあるわけです。

“これは日本の景ではないから詠めない”ということはしないようにしました。それに、外国の観光俳句にならないよう心がけました。俳句とは、自らの内面を詠むものなのですから。とにかく日本にいる時も、アメリカにいた時もタイにいた時も、わたしらしさを失わないよう、自分にしか詠めないものを作ってきたつもりです」

七月には、十四年ぶりに新句集をまとめられた。「この初糶の句はこの句集の中からのものです。新しい年への商いの活気を感じ取っていただければ」

荒川区には不思議な 懐かしさを感じた

ところで、そんな俳人・対馬康子さんが荒川区に引っ越してきたのが十七年前。

「環境のいいマンションが建つというので見に来ました。主人は“なんだか懐かしい気がするねぇ”とすぐ気に入り活気あふれる三の輪の商店街、当時は駄菓子屋や銭湯もまだけっこうあって、わたしも時代が戻ったような印象を受けました。がらっと玄関をあけたらすぐ茶の間、炬燵があっておじいちゃんおばあちゃんが迎えてくれる。子どものお友だちの家もそんな感じでしたよね。

そして、わたしたちが住む南千住の素盞雄神社には、芭蕉の『奥の細道』の矢立初めの句『行く春や鳥啼き魚の目は泪』の句碑があるんです。このことも、いいご縁だなぁと思っています」。

“自分らしさを失わない”という信条が、言葉のはしはしに感じられた対馬さんのインタビュー。そこには「荒川区も荒川区らしさを失わないように」と言う思いも聞きとれた気がしました。
第三句集にあたる最新の句集
『天之(てんし)』富士見書房刊(右)と それ以前の俳句を集めて編んだ『セレクション俳人13 対馬康子集』邑書林刊