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No.164  浜辺 順(はまべ じゅん)

第一日暮里小で美術部室に入り浸り
湧き出した芸術への興味

繊細で柔らかな曲線の連続は、ずっと先のほうで、別の曲線につながり、交差し、一つの円を構成していく――。

浜辺さんがカンバスに描く世界観、宇宙観は、そんなイメージです。

「世界は、直線ではなく、曲線で構成されている、と小さい頃から漠然と考えていました。人間だって、裏表というものはなく、もっと複雑で、それは『球』に近いものだと考えています」

現実と非現実。現世と来世。異次元の存在として、その作品の多くには、裸婦がモチーフとして描かれます。浜辺さんが描く女性は豊かな胸と波打つ髪が特徴です。皆、どこか遠くの何かを見つめているような、不思議な表情を漂わせています。

荒川区西日暮里5丁目に生まれました。実家は煙草店。故郷、荒川は「都会の中の静かで、心和む田舎といった印象です」

小学校の美術は苦手だった、といいます。ほかの児童に比べて描くのが遅く、授業時間中に仕上がりません。

「水彩絵の具を油絵のように浮き出させてみたり、自分の頭の中にある色を作っているうちに終わっちゃうんですよ」

担任教師が美術担当だったこともあり、美術部の部屋に入り浸って、芸術への興味が湧いていきました。

浜辺さんが通っていた第一日暮里小学校から少し歩くと、諏方神社の諏訪台通りをはさんだ真向かいに、太平洋美術会という瀟洒な研究所があります。明治期から日本洋画界をリードしてきた数々の画家を輩出した、日本美術史上に名を残す研究所です。

ちなみに、「智恵子抄」で著名な詩人、高村光太郎は浜辺さんと同じく、第一日暮里小出身で、その妻、智恵子も実は、この太平洋美術会に通っていました。

浜辺さんはそこでデッサンや静物画など、芸術の基礎を学びました。

「基礎を学んでから描くのではなく、もともと、描くべきものはすでに頭の中にありましたから、それを現実に形としてカンバスに移す方法を学んだのです」

二科展入選3回。読売新聞社賞、NHK放送局長賞のほか、その作品は数々の画集に収録されています。現在は太平洋美術会評議員を務めています。

三人姉弟の長女。下は弟二人で、小さい頃から男の子に混じって野球をしてきました。一方で、神秘的な物語に惹かれる女性らしさと早熟さ。

「私自身がどちらへでも行けそうな気がするんです。性別や、年代や、現実を超えて、物事の真ん中にいながら、自由にどちらの世界へでも行き来できる、そんな絵を描きたいんです」

現在は、町屋文化センターが太平洋美術会と提携して展開する「ディスカバー荒川」展で、故郷、荒川の風景画を描くこともあります。

第一日暮里小と太平洋美術会。光太郎と智恵子。そして、現在太平洋美術会の常務理事を務める画家で夫の佐田昌治氏とは、その美術研究所で出会いました。確かに、人間の縁は、どこかでつながっているかのようです。

文・臼井 理浩
カメラ・岡田 元章