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No.163  笠原 立晃(かさはら りゅうこう)

多才多趣味の「音楽住職」
荒川の文化の土壌支える力に

下町には、やはり下町に似つかわしいお坊さんがいるものです。

南千住5丁目の西光寺住職、笠原立晃さん(64)は、多才多趣味。人権擁護委員、保護司などで地域の社会奉仕に努める一方、区私立幼稚園等協会会長としても長く幼児教育の向上に取り組んできました。

こうした公的活動もさることながら、もう一つの、というより本当の顔ともいえるのが、音楽を中心とした文化振興活動に取り組み続けてきた「音楽住職」としての姿です。

現在、ACC理事と同時にACC友の会会長ですが、「ACCがスタートする前は、区に代わってサンパール荒川友の会が芸術・文化事業を主催していました。その会長を10年くらいやっていましたから、僕の方がこの分野ではずっと古い。ACCの発足でサンパール荒川友の会の活動が吸収されたため、僕もACC友の会会長という形になった次第です」(笠原さん)。

サンパール荒川友の会時代には、加藤登紀子さんや津軽三味線の故高橋竹山さんらのコンサートを開き、地域の音楽愛好家に喜ばれました。

もちろんご本人も音楽大好き人間。7年前から「男声合唱団金曜会」に参加、シューベルト「冬の旅」の独唱などを披露してきました。

今年9月末に開かれた「金曜会第9回サロンコンサート」では、オペラ「フィガロの結婚」のアリア「男たるものは」を歌っただけでなく、「故郷」「穂高よさらば」など日本の叙情歌を合唱した第一部では、初めて指揮棒を振りました。

毎朝、恵心僧都源信の作と伝えられる本尊の阿弥陀如来像を前に、本堂で読経を勤めます。大正時代に鍋島侯の屋敷を移築したという本堂は東京大空襲で焼失し戦後に再建されたもの。本尊と観音菩薩、勢至菩薩の3体は木造金箔張りの立派な仏像で、空襲の直前に納骨堂に納められ、戦禍を免れました。その金色の仏像が見下ろす本堂には、電子ピアノが置かれています。

寺の境内にあって笠原さんが園長を務める荒川若葉幼稚園は、関東大震災の直後に祖父の先々代住職が設立した、区内で最初の幼稚園です。園児はお釈迦様の花祭りや、お盆の魂祭りなど、年に4~5回あるお祭りや発表会の時に、本堂に集まりピアノで歌います。また、笠原さんのお姉さんもピアノ演奏家。時々、この本堂でリサイタルを開きますから、まさに「音楽住職」の面目躍如というわけです。

音楽だけでなくゴルフ、スキー、テニスの腕も評判の万能選手。こうした多様な才能は、勉学と趣味を両立させた学生時代に培われました。

東京大学文学部で東洋史を専攻、大学院に4年も在籍したという恵まれた学生時代。歌も指揮もスキー、テニスも「学生時代にちょっとやっていましたから」と、笠原さんはさらりと話しますが、その時代にまかれた種子が豊かに実って、いま荒川区の文化の土壌を支える力に育っているといえそうです。

文・富田 武三
カメラ・岡田 元章