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No.161  金子 マサ(かねこ まさ)

母の病で新しい人生発見
伯父「きいち」のぬりえがあった

現代のキャッチコピー風に言えば「クレヨンひとつで貴女も名画伯」――。40代半ば過ぎの女性にとって、墨線で描かれた女の子の絵に好きな色を塗るぬりえは、今もお母さんや幼友達との楽しい思い出に包まれた、懐かしい子供時代の宝物ではないでしょうか。

8月、町屋4丁目の住宅街に昭和20~30年代のぬりえを中心に、各国のぬりえも展示する、世界でも例のない「ぬりえ美術館」がオープンします。館長は金子マサさん(53)。今年3月に新築した三階建ての自宅一階(約76平方 )が中庭のある美術館です。

「最初は、ぬりえ作者として最も人気を集めた蔦谷喜一だけの展示を考えました。でも、それぞれの人に好みの作家がいて、世界中にも色々なぬりえがありますから、全てのぬりえを対象にした美術館にすることにしました」

蔦谷喜一さん(88)は「きいちのぬりえ」の作者で、金子さんの義理の伯父さんです。最盛期には八枚セットの袋入りぬりえが毎月平均百万部も売れるという、驚異的な人気を集めました。プックラと膨らんだ頬に大きな黒目で、手や足も丸々と太った大きな顔の三頭身ガール――これが「きいち」のキャラクター。ままごとや人形遊び、行水、食卓など女児の日常を、終戦後の貧しい時代にしては目を見張るような洋服、髪形、生活用品を配して墨線で描き出し、女の子たちを夢の世界に誘い込みました。

カラーテレビの急速な普及で子供の遊びの世界が変わり、昭和40年にはほとんど姿を消したぬりえですが、なぜか「きいち」だけはイラストレーターや編集者らの間で根強い人気を持ち、十数年おきに展覧会や本、テレビCMなどで不死鳥のように甦り続けてきました。

その度に懐かしさを覚えながら、さしたる関わりのなかった金子さんでしたが、美容師だった母・久子さん(72)の突然の病気で、ぬりえとの距離が一気に縮まることになりました。「母一人、娘一人の家族。いつも母に付いていてあげたい」と、管理職を務める化粧品会社を退社したのですが、久子さんの体調が戻った時、プラス思考の金子さんが考えたことは「母の病気で、私は好きなことに取り組める自由と新しい時間をもらった」でした。自分のため、みんなのために役立つ何かをやろう――そう考えたとき、思い浮かんだのがぬりえのための美術館でした。

「ぬりえはB級の文化といえるでしょうけど、いろんな人がぬりえに思い出を持ち、懐かしさを感じている。どうしてなのか分からないけど、私自身で言えばキャリアウーマンとしてパリにも何度も行き、バリバリ働いて日本は素晴らしい国だと誇りを感じてきた。それがバブル崩壊で、日本は何もかも悪い国のように言われ出した。でもそうかしら。古いものの良さを再認識し、精神の豊かさをとりもどすために、ぬりえのようなものが大切なのではと思えるのです」と。

金子さんの「ぬりえ美術館」計画は新聞などで報道され、これまで大切に持ち続けて来た人たちからの寄贈も相次ぎました。これまでに「きいちのぬりえ」を中心に500点以上の日本の作品が集まり、幅広いテーマの外国作品55点も入手できました。

美術館は8月3日のオープン後、2か月間は週末4日間の開館ですが、10月からは土、日、祝日だけの開館です。

読売新聞社・富田 武三
カメラ・岡田 元章