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No.159  根本 圭助(ねもと けいすけ)

昭和の大衆アートを守る
故郷・南千住に尽きない慕情

昭和20年、東京湾から低空で侵入してきたB29爆撃機は、東京の下町を一瞬にして火の海にしました。

2月末、雪の日の空襲の際には、三方を火に囲まれ、素盞雄神社の近くに避難しました。

逃げようとせず 「死ぬときは死ぬんだから」と悠然と構えていた、たばこ屋のおじいさんのことは、今でも強く印象に残っています。

その極限状況の中でも、死ぬなら南千住で、と思っていました。

根本さん(67)は昭和16年、国民学校に入学。現在の第二瑞光小学校です。

「今でも、当時の風景が頭の中に浮かびますよ。『二瑞』の隣は氷屋さん。冬はやきいもを売っていました。その隣は『大黒屋』という文具屋さんで、駄菓子やいろいろなものもありましたので、誰が名付けたのか『メチャメチャ屋』と呼ばれていました」

やがて、戦火が激しくなるにつれて、千葉県柏市の親戚宅へ疎開しました。

故郷に対する思い。戦災という非常事態で転居せざるを得なかった根本さんにとって、荒川は単なる慕情ではありません。大切な人との仲を裂かれたような、恋愛感情に近いものでした。

現在、根本さんは千葉県松戸市に2000年の夏にオープンした昭和ロマン館の館長です。この館は、挿絵や絵本ばかりを展示する日本でも珍しい記念館です。

数多くの雑誌の挿絵、口絵、絵本などのイラストレーションの数々は、昭和の出版物を彩った大衆アートを感じさせてくれます。

中でも、30歳代半ばから上の世代には懐かしい、少年雑誌に載ったゼロ戦の精緻画、プラモデルの箱に描かれたサンダーバードの勇姿。その作者である小松崎茂画伯の数多くの作品が目を引きます。それもそのはず、根本さんは、小松崎画伯の愛弟子。小松崎氏も南千住の出身なのです。

「今でこそイラスト、という言葉がありますが、当時は画家が本業だけでは食べられず、生活のために挿絵を描いていた人が多かったのです。イラストといっても、大衆物、少年少女物、童画(絵本)など様々なジャンルがありますが、系統的に整理されていないのが現状です」

根本さんが挿絵の世界にのめり込んだのは、少年時代に、「少年倶楽部」などのバックナンバーを収集し始めたのがきっかけでした。

根本館長には、実は、もう一つの「顔」があります。

昭和30年代後半、テレビの人気主人公の絵を商品につけた「キャラクター商品」が世に出回るようになります。

キャラクターを付ければ、文具でも玩具でも何でも売れた時代です。

小松崎画伯の書生・弟子時代を経て、根本さんはそんなキャラクターを描き続けました。

月光仮面、ひょっこりひょうたん島、仮面ライダーなど。

「街で、小さい子どもたちの一団に出くわすと、変な気分でしたよ。皆が身につけているものに、私の描いた絵がいっぱい付いているわけですから」

40歳代には懐かしい、当時一世を風靡した「飛び出す絵本」の企画チーフをつとめましたし、一時期、キャラクターものの「かるた」は、ほとんどが根本さんの手によるものだったといいます。

少年の日に戻りたければ、根本さんの美術館を訪ねてみるといいでしょう。そこには、「昭和ロマン」があの日のまま、優しく息づいています。
読売新聞記者・臼井 理浩