東京スケッチ7050枚
“70の独学”荒川の風景を後世に
南千住地区の再開発事業によって、JR貨物線の隅田川駅や家並などの風景が大きく様変わりしています。今は、はがき大の小さなスケッチブックにその姿を残しているだけです。
7050枚――。70歳になったのを契機に、東京二十三区にある様々な建物や風景のスケッチを始め、気が付いたら、それだけの数になっていました。
使うのは、たった12色の色鉛筆。それも、使い込んで短くなり、継ぎ足したものです。
孫が使わなくなったものを、私が使っているんですよ」
三原色に、紫や紺、黒などを重ね合わせて、微妙な色を生み出し、アクセントとしてのオレンジが明るさや暖かさを引き立てます。すべてが自己流です。
色鉛筆の柔らかで、優しいタッチが、風景を懐かしいものにしています。一枚のスケッチを、ずっと見つめてしまう不思議な魅力があります。
「荒川区の壊されていく古いものを絵で残せないか、と散歩がてらに始めたのが15年前。朝9時頃に家を出て、気に入った場所を見つけたら、そこで15分程度で描き上げます」
歩数にして多いときで2万歩。最近は1万歩、距離にすれば約3程度。自分の気に入ったモチーフを探し求め、一日で10か所以上も回ります。
山口さんは現在、83歳。元気の秘訣はこの散策と、素晴らしい風景を見たいという好奇心。それに、後世に自分なりの形で残したいという思いなのです。
都電の町屋駅前、石浜神社、千住大橋郵便局、稲荷神社といった見慣れた建物の他にも、「古い質屋さん」「ガスタンクの見える町」
「柚子の実のなる家」といった、荒川区民なら誰もがどこかで一度は目にした風景が、はがき大の画用紙に切り取られています。
「民家がなくなって、原っぱになったままの場所。空がやけに狭くなったと思ったら、新しく建った高層マンションのせいだった。街は生き物だと思いますね。いつも破壊と創造を繰り返している」
7050枚の内訳は、荒川区が最も多く、1000枚。以下、文京区600枚、江東区400枚と続きます。
二十三区すべてを歩いて、山口さんは気が付いたことがいくつかあります。
この荒川区は、マンション建設が続き、街並の移り変わりがとても激しいこと。それに坂が少ない。
「文京区などは坂が100以上あるし、60くらいの坂には名前が付いていません。江東区には小さなものも含めると、橋が400本以上かかっています。銭湯も一見どれも同じように見えて、一つとして同じ作りのものはありません」
手帳には通し番号で描いた場所が克明に記録されていて、そのデータから明らかになったことなのです。
500枚、1000枚と作品が増えるたびに開いた絵はがき展も十回目をかぞえ、昨年の秋には、荒川区の文化功労者として表彰されました。
これからは、『学校』や『お店』などテーマを決めて二十三区を描いていこうかと考えています。
「最近は、脚の方が昔みたいにいかないけれど、何とか1万枚を目指して、頑張りますよ」
山口さんはそう言って、優しく笑ってくれました。
読売新聞記者・臼井 理浩