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No.156  前野 重雄(まえの しげお)

メジャーの“お宝鑑定士”
19歳のICHIROもため息

「荒川区に軸足を置いたまま、足をいっぱいに広げていたい」

前野さんの視野は常に外を向いています。

高校卒業後、ハワイ州立大学に留学。卒業後はハリウッドの映画会社で、ドキュメントムービーのカメラマンとして働きました。

25歳の時、父親の訃報を聞き、帰国。以来、スポーツ・アナリストとして評論、執筆活動をする傍ら、日米スポーツ用品の輸入業務を手がけています。

「荒川は素晴らしいところだと思いますよ。まず、情が深い。旨味が濃い、透明なとんこつスープみたいな感じがします」

先日、座骨神経痛がひどくて、真夜中に救急車をよびました。

「そうしたら、近所の人たちが『シゲオちゃん、大丈夫』と心配してくれる。そんな街です」

テレビでは、メジャープロスポーツに関する「鑑定士」として、お茶の間でもおなじみでしょう。

自身の店「流体力学」(ryutai.com)の中は、有名選手のユニホームやバット、ボールが何点あるか知らないほど。

「これらはすべて妻が管理してくれています」

小学4年の頃、当時、荒川区にあった東京スタジアムに入り浸りでした。二軍の試合です。

バットに、白いボールに触りたい。帽子を被ってみたい。いつの世も、プロ野球の選手は、少年たちにとって憧れの的です。

ある時、顔見知りになった選手から

「坊や、これ持って行かんか」

とヒビの入ったバットを貰いました。

「感動しましたよ。一週間は、足が地についていないような、フワフワした感じで。忘れもしません。東京オリオンズの倉高一塁手という選手でした」

それが、プロ選手の道具を集めるようになったきっかけです。

仕事は真夜中から。アメリカ東海岸が朝を迎える頃、仕事の発注を出して、西海岸で残業を終えて帰宅した人に電話する頃には、日本はお昼になります。

「だから、店の営業時間が正午から午後6時までなんです」

7年前、19歳の若者が狭い店内の小さな椅子に座っていました。その若者こそ2001年、メジャーリーグの新人記録をことごとく塗り替えたリーディングヒッター、ICHIROだったのです。

ファッション雑誌に載っている前野さんのエッセイを読んで、一人で店に訪ねてきたのです。

彼はNBAのマイケル・ジョーダンのユニホームを眺めながら、

「いいなあ。いいなあ。ここに一日中、座っていたいなあ」

と溜め息をついています。

「これ、売ってくれませんか」

というICHIROに、前野さんは

「君のヘルメットと交換ならいいよ」

と言いました。

前野さんは阪神大震災のチャリティー・オークションに彼のヘルメットを提供しました。彼のものは所有するのではなく、社会に還元すべき、と思ったからです。

「公式戦も見に来てくださいね」

前野さんは彼との約束を守り、“同時テロ”直後、アメリカを往復しました。

「約束した通り、ちゃんと来たよ」

ICHIROは、ジョーダンのユニホームを眺めていた頃と同じ、キラキラした目をしていました。