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No.155  中根 喜三郎(なかねきさぶろう)

名人芸、江戸っ子和竿職人
120の工程を一人でこなす

ホテイチク、ヤダケ、ハチク、マダケ、コウヤチク。釣り竿に用いられるのは、日本特産の竹です。

厳しい目で厳選し、表皮の油を抜き、天日で3か月ほど乾燥させた竹を、火にかざして、曲がりを矯正します。刀の火入れにも似た、緊張する瞬間です。

この火入れが竹を強くし、弾力を持たせ、釣り竿としての優劣を決定づけるのだそうです。

竹竿の発祥は天明年間(1781~1789年)で、その歴史は200年を超えます。釣り竿に竹を用いるのは日本独特のもので、「和竿」ともいわれます。和竿の本領は、竹を継ぎ足した「継ぎ竿」です。

一本の和竿が完成するまでには、「継ぎ」や「塗り下」「漆塗り」「仕上げ」など120の工程があります。それらはすべて一人の職人の技によって支えられています。

都電荒川線を三ノ輪橋で降りて、荒川区南千住へ。下町風景の中に「竿忠」の看板があります。

1931年、墨田区生まれ。名人と謳われた初代「竿忠」の中根忠吉は曾祖父で、中根さんは4代目になります。

平成11年度荒川区の指定無形文化財保持者に指定されています。話し方や立ち居振る舞いは、まさに昔ながらの気骨のある職人。

「ちゃきちゃきの江戸っ子」というのは、中根さんのような人をいうのでしょう。

江戸前の釣り、といえば、ハゼ、キス、アユ、ヤマメ、フナ、タナゴなど。その魚ごとの釣り味が異なるために、竿の種類も魚に合わせて異なってきます。ただ、最近では、作ることのない種類の竿も増えてきたとか。

「東京湾の護岸工事で、魚の種類が減ったからですよ」

と寂しそうです。

加えて、材料の竹も減りました。「竹の塚」「笹塚」という地名が残るように、かつては竹林は日本中にありました。江戸時代には、隅田川の流域に、多くの竿師が仕事場を構えていたといいます。

時代は移って、登場したのが、新材料のグラスやカーボン製。それでも、中根さんはいい竹を求めて、日本全国を訪ね歩きます。

「竹は縦の繊維があるので、魚を引き寄せるときに横ぶれはしない。腰のある弾力性は、竿が自分で魚を釣っているような感触です。これは竹以外の材料では、出せないものです。使ってみなければ、なかなか分かってもらえないし、一度使えば、和竿の良さを納得してもらえますよ」

江戸和竿協同組合の理事長を務める中根さんは、和竿を後世に伝えたい、と願っています。製作教室の開催、和竿で釣りをする会の主催など、技術の伝承だけでなく、和竿の普及にも力を入れています。

中根さんの手になる和竿は、釣り好きには、垂涎の逸品。

精緻な伝統工芸品か、美術品のようで、とても水面で糸を垂らすには勿体ないような気がします。

中根さんは真剣な表情でこう言います。

「それじゃあ、いけません。和竿はあくまで実用品。使ってもらわなくては、竿がかわいそうじゃないですか」

読売新聞記者・臼井 理浩