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No.149  イエス 玉川(イエス たまがわ)

“笑いっぱなしの浪曲”を
忘れられない荒川での日々

義理と人情。浪花節。親を敬い、目上の人に対しての礼節を大切にする。

浪曲は現代の日本人が失いかけているものがテーマになっています。

仏教の説法に由来する浪曲は、お経に通じるものがあります。仏教の精神を例え話に置き換え、易しい言葉で人の道を示します。

明治のころ、盛んになったこの浪助。かつて、殿様が力士をひいきしたように、政治家が遊説先にまで、浪曲師を連れていく時代もあったようです。

当時、娯楽に飢えていた人々は、次第に浪曲に熱狂していきました。レコードが発売され、ラジオから浪曲が流れ始めると家族全員で、ラジオの前に正座して聞き入るほど、浪曲は、大衆に親しまれていました。

「浪曲のあの独特の声は、わざと声をつぶして作るんです。ですが、浪曲にふさわしい声に変わるかどうかは、神のみぞ知る。私の場合、つぶさなくても、浪曲向きの声が出せたんですよ」

そう語る玉川さんは、天性の浪曲師だったようです。

小さい頃から、浪曲を真似て、父親や近所のお年寄りを感心させ、喜ばせていました。

「大人の喜ぶ顔が、なぜか大好きでね」

昨年亡くなった三代目玉川勝太郎に入門。内弟子として4年間修業を積みました。兄弟子は、「金もいらなきや、オンナもいらぬ--」の玉川カルテット。

修業が明けてから、西日暮里の京成線ガード側のアパートで一人暮らし。四畳半で家賃は6000円。苦しい下積み時代は続きました。

「いつも買い物に行く八百屋のオバちゃんが、私が芸人だと知ると、『三波春夫さんもここから出て出世したんだから、あんたも大丈夫だよ。三波春夫さんくらいになれるよ』と言ってたんですよ。今度通りかかったら、言ってやろうかと思ってるんだ。『ウソつき!』って」 (笑い)

八百屋のおばさんは決してうそを言ったわけではありません。それは、国立演芸場で行われたライブ盤を開けば、分かります。

多分、玉川さんのことを初めて知ったお客さんも、玉川さんが登場すると、すぐにその世界に引き込まれます。そして、牧師の衣装をまとって、浪曲の前の漫談が始まると、会場は笑いの渦に巻き込まれてしまいます。

戦前に確立された浪曲を教科書通りに披露する浪曲師が多い中で、玉川さんは筋の途中で、漫談を交えたり、新たなスタイルの浪曲を模索しています。

「漫談は確かに受けますが、僕がやりたいのは、お客さんがずっと笑ってくれる浪曲。そんなのが出来たら最高」

荒川の人々には、ずいぶんと助けられた、と言います。浪助を開きに来てくれた人たちがかけてくれた温かい言葉の数々は、今でも忘れません。

「因ってるんだったら、ウチの部屋が空いているから引っ越しておいでよ」

「遊びに来いよ」

「今夜は鍋をやるから、あんたも食べにおいで。腹、空いてるんだろう」

玉川さんは言います。

「荒川は人情味のある、住みやすいところですよ。同じ東京なのに、何かが違う」

玉川さんが言いたかったのは、きっと、こういうことでしょう。

浪曲、浪花節みたいな街--。

読売新聞記者・臼井 理浩