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No.148  澤野 庄五郎(さわの しょうごろう)

「団子は野趣」のこだわり
“生きた近代史”も語り継ぐ

「焼き団子と、一ぺい、くんな」

目を閉じると、人力車が軒先で止まり、羽織、袴の文豪たちが暖簾をくぐって、ひょいと現れてきそうな雰囲気です。

創業は文政2年の1819年。182年前の、第11代徳川家斉の世です。以来、それぞれの時代で、どれだけの人々が、団子の妙味を楽しんだでしょう。

慶応3年生まれの夏目漱石の名作「我輩は猫である」には、

「行きましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。先生あそこの団子を食った事がありますか。奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」

とこの店のことが記されています。

高校生だった漱石は、常連だった親友の正岡子規に連れられて来ていたようです。馬に乗ってやって来たのは、森鴎外と岡倉天心。昭和4年、田山花袋が中風で倒れたと聞き、お見舞いに行ったら、左手で現在店に掲げてある屋号の扁額を書いてくれたそうです。

泉鏡花はこの店を舞台に「松の葉」という短編を書き上げています。

「だから、昔、父や祖父に連れられて来ました、というお年寄りのお客さんも多いですよ」

第6代の庄五郎、澤野庄五郎さんは1925年生まれ。明治大学政治経済学部では、村山富市元首相と同期生です。

団子のメニューは焼き団子と餡団子。これこそ団子の中の団、という素朴な味は、昔と変わっていないようです。

「千数百年の昔、仏教と一緒に伝わった団子は本来、神仏へのお供え物なのです。だから、手を加えたり、見栄えを良くすると、それは団子ではなく、上菓子になってしまう。団子の野趣を失って、上菓子になってはいけません」

代々伝わるそうしたこだわりが幕末の頃、人々の間で「羽二重団子」として、評判になりました。団子の生地、膚が、まるで羽二重の布のようにきめ細かいことから、その名が付いたのです。

澤野さんは昭和20年の春の日のことを、昨日のことのように覚えています。日暮里のこの一帯は、ほとんどの家が戦災に遭いましたが、この店だけは焼失を免れました。

「近くの池から水を汲んできては、一人で何度もかけましたよ。おかげで、夜が明ける頃には何とか延焼を食い止めました。屋根に上がって町屋の方角を見ると、千住大橋まで、まるで燃えくすぶる花の絨毯のようで、妙に美しかった」

澤野さんは団子屋の主人であると同時に、近代日本の生きた「教科書」でもあります。そうした貴重な話は、同店で定期的に開かれる「だんご寄席」で伝えられています。

団子が最も栄えたのは、300年前の天下太平、元禄時代の頃。どうして昔の人は「花より酒」と言わなかったのでしょう。それだけ団子は庶民にとっての大ヒット菓子だったのです。

団子には平和が似合います。どうです?今夜あたり、焼き団子で一ぺい、というのは。

読売新聞記者・臼井 理浩