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No.147  末澤 昌二(すえざわ しょうじ)

旧ソ連、モンゴルに28年
荒川に移り、下町暮らし楽しむ

25メートルの温水プールで一時間から一時間半。朝の散歩は8000歩。体を動かすことが健康の何よりの秘訣、といいます。

「日曜日には、町屋文化センターで囲碁。これが下手で困っています(笑)」

責任と緊張を強いられる外交官時代の生活に比べ、 「荒川は町の雰囲気がいいですね。ざつくばらんで、とてもリラックスしています」と語ります。

旧ソ連のモスクワで通算19年、生活しました。その他にも、ウクライナに3年、ナホトカに3年、レニングラード3年--。体を動かす習慣は、外交官時代から変わっていません。

総領事公舎からネフスキ通りを歩いて、レニングラード駅まで。早朝、マイナス10度くらいの空気は、乾いて心地良い緊張感があって、実に気持ちよかったといいます。

マイナス30度を超える酷寒の世界では、眉毛が白くなります。吐く息や涙が蒸発して一瞬にして凍るからです。そんな中でも早朝の散歩は欠かしません。

「モスクワ市内のゴーリキーパークの中には、日比谷公園くらいのスケートリンクができるんですよ」

宇宙開発競争、冷戦の真っただ中で、政治的には微妙な関係でも、ロシア人は見知らぬ異邦人に対して優しかった、といいます。

「道を尋ねると、皆が教えてくれる。どの行き方が最も合理的か、で口論まで始まり困りましたが」

トロリーバスで騒いでいる子供がいると、当たり前のように、皆で注意して静かにさせる。帽子をかぶらないで歩いている子どもがいると、その親を叱ります。

見て見ぬふりをする、どこかの国とは違うようです。

「困ったのは生まれたばかりの長男を日光浴させていた時。長男のオシリが青いのを見た人々が口々になんて酷い親だ、と怒り出しました。私が青アザができるくらいに叩いたと勘違いしたようで、蒙古斑を説明するのに困りましたよ」

その同じ蒙古斑を持つ国、モンゴルにも赴任しました。

厳しい寒さの冬。マイナス20度の日々が11月から3月まで続きます。日本の国土の4倍の広さがありながら、人口は230万人。遊牧民が羊を飼う、その広大な丘陵地帯は、懐かしい記憶を呼び起こします。

「今年は冷害で多くの羊が犠牲になったと聞き、心を痛めています」

昭和56年に家族と荒川に移り住んできました。

荒川の自然を愛し、自治会の餅つき大会やバザー、クリスマス大会などのイベントに参加して、地元の人々とのコミュニケーションを大切にしています。

第二の故郷、ともいうべきソ連は消滅し、政治体制や国民の意識もずいぶんと変わりました。

「残念なことは、ウォッカとアイスクリームの味が少しばかり落ちたこと、かな」

読売新聞記者・臼井 理浩