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No.141  松本 和将(まつもと かずまさ)

21世紀の“エース”めざして
幼い日の夢着々、ドイツ留学へ

幼いときの夢を現実のものにすることのできた幸せな人。しかもその夢は、ピアニストという、天賦の才がなくては叶えられないものでした。

けれどご本人は「作曲家でも、指揮者でもよかった。とにかく音楽家になれたらいいなと思っていました」と、さらりとしています。いくつかの偶然と巡り合わせが重なって、今日の松本さんがあるようです。

生まれは美術館の街として知られる倉敷。家の隣がたまたま保育園だったので、そこからピアノの音が流れてくると、家の窓を開けては耳を傾けたものでした。

本格的にピアノを習い始めたのは6歳の時。でも幼稚園に通っていたころから、既に人前で弾くのが好きでした。

中学、高校時代は、友だちとバンドを組み、ロックにのめりこんだ時期でした。B'zやXJapan、スウェーデンのイングウェイ・マルムスティールやドイツのバンド、ハロウィンを好んで聞いていました。

「ロックもクラシックも基本的な部分は同じだと思う。ただロックのほうが聴衆の反応が直に伝わってくるので、こちらものってしまう」

中学3年の時、たまたま先生に勤められて全日本学生音楽コンクールに出場したら、何と全国1位。けれど、趣味で弾いていたロックをやめてまで、クラシックに専念するつもりはありませんでした。

転機は高校3年の時でしょうか。ウクライナのキエフで開かれた第2回ホロヴィッツ記念国際ヤングピアニストコンクール(14~18歳の部)を受けたら、3位入賞です。

「生まれて初めて行った外国で、生まれて初めてブラボーを浴びました。」その時の感激は今も薄れていません。

いろいろな国の音楽学生と巡り合い目を開かされたのでしょう、やがて松本さんの中で、ロックとクラシックの比重か逆転していきます。翌1998年に東京芸大に入学。その年の秋、日本音楽コンクールで見事、優勝しました。

「自信がなかったわけではないけれど、何が何でも1位を取らなければとも考えなかった。落ちても失うものもないし、人前で弾くチャンスですから」と、屈託がありません。そう「たまたま1位になっちゃった」のです。

すべてに対して自然体のようですが、努力は惜しみません。だから「練習したなというのが見えるようではダメです。自然に弾いているように見えなくては」となります。

好んで弾くのはリストやショパン、ラフマニノフ。何より「自分の感情に素直に弾くこと」を心掛けています。結局はそれが作品に敬意を表することになると思うからです。

好きなピアニストは往年の大巨匠ホロヴィッツ。「主観的な、とても深い世界を持っているし、クラシックという壁を感じさせずに純粋に音楽として聞かせ、聴衆を共感させてしまうのがすごい」「お年寄りは和太鼓でロックをやると、喜んでくれるんですよ。不思議なものです」
だからといって巨匠に近付こうなどとは思いません。「僕は僕の音楽をするだけ。それしかできません」 ― と。

日暮里のマンションに住んで3年目。「自転車で走るのが好き」で、通学に利用したり時間を見つけては、荒川の河畔にでかけます。
道々出会う都電荒川線がお気に入り。「地下鉄のあの無機質な暗い雰囲気に比べて、路面電車は心が和みますね」

「町屋あたりで感じる下町の雰囲気も好き」だといいます。

「人と人とのつながりが濃いですね。東京で感じることの多い ″冷たさ″から開放される気分になります」

近々ベルリンに留学します。21世紀に21歳になる松本さんがどんなピアニストに成長して帰ってくるか。期待が高まります。

読売新聞記者・佐々木三重子