トップ   >  荒川の人  >  No.140

No.140  茂戸藤 浩司(もとふじ ひろし)

聴く人の魂を揺さぶる技
笛・太鼓は「当たり前」の尾久育ち

「尾久の界隈じゃ、当たり前の風景だったんですよ」

精悍な長身、褐色の肌。澄んだ瞳はまるで少年のよう。

手習いの纏を小学校のお別れ会で披露した兄の姿がカッコよくて、「じゃあ、おれは和太鼓を」と、根津権現龍神太鼓に入門したのが、小学校5年のときでした。横町のあちこちから笛や太鼓の音が聞こえる中で育った茂戸藤さんには、珍しいことでもありまん。野球やサッカーを習うような気安さで始めただけだったのです。
入門するや、たちまち和太鼓が持つ勇壮で華麗な魅力に引き込まれていきます。高校に入ってからは、東京の和太鼓プロ集団の草分け「大江戸助六太鼓」の門をたたき、プロヘの足掛かりをつかみます。とはいえ、当時はロックにも色気があって、仲間とバンドを組んでいたほど。学園祭では引っ張りだこでした。

和太鼓とロック。どちらも大好きなのに、うまく結び付けられず、もどかしい日々を送っていました。2つは当時の茂戸藤さんにとって、水と油のような相いれない存在だったのでした。

ところが、ふとした折に、林英哲さんが演奏するダイナミックな和太鼓に触れ、茂戸藤さんの魂に閃光が走りました。和太鼓という楽器が、ディープでハードなロックに十分堪え得ることを見せつけられたのです。

「おれ、これやる!」

高校を卒業してサラリーマンの平凡な日々に甘んじていた茂戸藤さんは迷うことなく退職。すぐさまプロの看板を掲げたのでした。人生の転機とは、微笑ましくも奇妙なものです。

ちょうどそのころ、若手の和楽器奏者を中心に構成されたロックバンド「六三四(むさし)」の結成に参加。内外のミュージシャンとのセッションを重ねるごとに高い評価と称賛を得て、みるみる頭角を現していきました。

茂戸藤さんは、ロックばかりか韓国のサムルノリや若山流の江戸祭囃子などあらゆるジャンルからリズム形態や打法を会得して、独自の技を磨いていきました。求道者のような探究心とアグレッシブな技は、聴く者の魂を揺さぶるに十分な芸の高みです。

昨年からは立教大学で表現学の講座を持ち、昨年からは「打究人(ダクト)」という三人の和太鼓奏者によるユニットも結成。幅広く意欲的な活躍は、とどまるところを知りません。

茂戸藤さんの和太穀には三つの要素が備わっているそうです。ひとつは「視覚」。ばちを握って強じんな肉体を躍動させる姿はまるでスポーツにも似て、素朴な感動がわき立ちます。次に「音楽」。和太鼓が楽器ですから当然のことですが、従来の和太鼓にありがちだったむだなリズムを徹底的に削ぎ落として、音の響きをストレートに伝えます。そして「表現」。怪物のような三尺五寸の太鼓にからむ洗練された振り付け・パフォーマンスのさまざまは、見る者にドラマにも似た興奮を呼び起こします。この三つがたくみにからみあって、茂戸藤さんの独自の世界がつむがれていくのです。

いま、8月26日にサンバール荒川で行われるライブが注目を浴びています。津軽三味線の最高峰・木下伸市さんと上妻宏光さんとのセッション。繊細なばちのつまびきと漆黒の闇を貫く豪壮な連打が、観客を酔わせることでしょう。

「お年寄りは和太鼓でロックをやると、喜んでくれるんですよ。不思議なものです」
和太鼓の魅力は、こんなころにひそんでいるのかも知れません。

読売新聞記者・佐川 和之
カメラ・岡田 元章