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No.139  雅山 哲士(みやびやま てつし)

「攻め」て開花 "新・怪物"
地元と触れ合う 好青年の素顔

超スピード出世の大関が誕生しました。雅山がデビューしたのはわずか2年前、平成10年名古屋場所でした。

初土俵から12場所での大関は、年6場所制になった昭和33年以降では、豊山(現時津風)と並んで史上一位タイ。付け出しが「幕下最下位に限る」と昭和41年夏場所に現行の制度ができてからは、最短で大関に駆け上りました。

雅山が相撲を始めたきっかけは、小学校6年生の時、水戸市の相撲大会での優勝でした。中学は相撲部がなかったため、柔道部に籍を置くかたわら、武双山の父で、水戸相撲連盟の理事を務める尾曽正人氏に相撲の指導を受けました。そのおかげで相撲の実力がついてくると「白黒がはっきりつかない柔道は性に合わない」と、ますます相撲にのめり込んでいくようになりました。

水戸農から明大に進み、1年生でレギュラー、2年の全日本選手権でベスト4になり、幕下付け出しの資格を得ると、「自分のカを試したい」と翌年、大学を3年で中退してプロ入りしました。

茨城交通グループの御曹司という恵まれた環境を捨てて飛び込む、将来の保障のない勝負の世界。それだけに「失敗したら実家には戻れない」と堅い決意で臨んだといいます。

デビュー場所から2場所連続で幕下優勝、さらに十両に進んでからも2連覇と、過去に例のない初土俵からの4場所連続優勝を手土産に、平成11年春場所に新入幕を果たしました。

順風満帆な相撲人生ですが、それでもカベはありました。幕内上位に進んだ夏、名古屋は2場所連続で負け越し。しかも横綱・大関戦は12連敗と平成11年度は一度も勝てませんでした。"平成の新怪物″と言われる雅山にとって、初めて味わう挫折でした。

腰が重いためどうしても、受けに回ってしまう。自分の相撲の欠点を自覚した雅山は「とにかく前に攻める相撲」を心掛け、激しいけいこをこなしたといいます。

その成果が、新小結で迎えた今年初場所からいきなり出ました。2日目に左を差して千代大海を一気に寄り切り、横綱・大関戦13戦目に初白星をもぎ取ると、9日日には曙も破り、この場所12勝。本来の素質が開花し始めるともう勢いは止まりません。

関脇となった春、夏は連続11勝、大鵬以来という新三役からの3場所連続二ケタ勝利で、一気に大関に昇進しました。

土俵ではモンスターぶりをいかんなく発揮している雅山ですが、素顔は明るい好青年。武蔵川部屋のある荒川区は、触れ合いの多い町だと実感しているようです。

「自分はパチンコが好きなんですが、やってるときにジュースなんかをよくもらいます。東京でも、この辺の人たちは気さくな人が多いですよね」

突き押しもあり、四つは右でも左でも取れる。また、攻められても、なかなか負けない体質など、史上最多の優勝回数を誇る大鵬に似ているという声も多い雅山。

「地元の人の期待にこたえるためにも、これからもチャレンジャー精神で頑張りたいですね」
″平成の新怪物″がこれからどのような活躍をみせるか、大いに楽しみです。

読売「大相撲」記者・長山 聡
カメラ・水戸 保夫