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No.136  坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう)

異色の"アイディア大使"
「スペイン畑」で数々のエピソード

人間万事塞翁が馬

西尾久に居を構える坂本重太郎さんの外交官人生は、まさにそれでした。

一橋大から外交官試験にパスした当初はロシア語を専門にしようと意気込んでいたのに、外務省の意向でスペイン語に割り振られてしまいます。同期生が海外研修にハーバード大やケンブリッジ大などに向かう中、坂本さんは不本意のまま南米コロンビアの大学に赴きました。でも、そこで人々の温かさに触れ、意外な居心地のよさに一念発起。以来、駐パラグアイ大使、中南米局長、駐ベネズエラ大使を経て駐スペイン大使で掉尾を飾るまで、スペイン畑のエキスパートとして、日本外交の一翼を担ってきたのです。半生を顧みると「スペイン語でよかったな」とか。「あのとき、希望通りロシア語に割り振られていたら、私の人生はだいぶ違ったものになっていたでしょうね」

坂本さんは、官僚にありがちな事なかれ主義とは対極的な「アイデア外交官」として知られていました。それを証明するエピソードには枚挙にいとまがないほどです。

スペイン南部のコリヤ・デ・リオという港町には、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」という姓の人々が約1200人います。17世紀にこの地に上陸した支倉常長率いる使節の何人かが、日本に帰ることなくこの地に残留。その末裔が「ハポン」を名乗っているのだそうです。

この話に興味を抱いた坂本大使は、さっそく外務省から予算を引き出させて「ハポンさん大集合」を催します。ラジオ放送で呼びかけたら、会場にはなんと650人ものハポンさんがはせ参じました。彼らはみな、「サムライの末裔」としての誇りを持っているのだそうです。「とくに、女性には日本のおもかげが見受けられました。目の回りがなんとも東洋的で、スペインでは美人の評価を受けていますね」

その証拠に、96年のミス・スペインに選ばれたのは、マリア・ソワレス・ハポンさん。彼の地での「日本」は好評のようです。

さらには高名なサッカーの審判などもいて、「ハポン・パーティー」は多くのマスコミが取り上げ、あまたの話題を提供して、日西外交に大いに貢献しました。

「私は、いつも『だめもと主義』なんです」。どんな境遇におかれても、だめでもともとでやってみよう、慣習や前例を破ってもいいじゃないか、という精神。そんなところから、奇抜なアイデアがうまれてくるのかもしれません。「坂本外交」の真骨頂といえましょう。

では、これからの日本には何が必要なのでしょうか。「理念を持った外交ですね。日本人は、和を尊ぶ寛容度の高い国民です。『寛容と和』。これを日本外交の柱にするんです。世界各地での対立や紛争はこの精神で解決できるんじゃないでしょうか」

どうやら、21世紀日本のキーワードは、「寛容と和」ということのようです。

さらにこんなお話も。かつてコロンビアに滞在した折、多くの人に「日本人はおまえのほかに二人知っている。ノグチとオギノだ」と言われました。黄熱病研究の野口英世と荻野式の荻野久作です。現地ではいまだに知られた日本人なのだそうです。「若い人には、ハゲの特効薬でもなんでもかまいませんから、世界的な研究で名をはせてもらいたいですね。それが、国際社会で日本の果たすべき役割なんだと思います」

訪れた国が90を超える豊冨な海外体験。愉快な中にも、含蓄のあるお話でした。

読売新聞記者・佐川 和之
カメラ・岡田 元章