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No.130  高橋 繁(たかはし しげる)

男性美容師の草分け!
荒川を"ヘソ"に海外でも活躍

南千住八丁目(汐入)で、ヘアサロン「マンドール」を経営する高橋さんは、男性美容師の草分けでもあります。今でこそ、男性の美容師の存在は当たり前ですが、昭和十一年生まれの高橋さんが三十歳で、美容師の資格を取った当時は、「男は理容師、女は美容師」というのが常識でした。

曾祖父が髪結師、祖父も父も理容師、業歴百三十七年という、髪一筋の家系。高橋さんも少年のころから家業を手伝わされたそうです。

「第五瑞光小学校を出て、荒川三中に入りましてね、クラブ活動は陸上をやってました。練習を終えて帰宅、何をやってたんだと言われ、すぐに店の手伝い。居眠りでもしようものなら、バリカンで殴られましたよ」

当然のように、理容の道を選び、昭和二十八年に理容師の資格を取ります。その、高橋さんに転機が訪れたのは、二十代半ばのことでした。パリで行われた理容の「世界選手権」に出場したことが、そのきっかけとなります。

「そこでの経験が、これからは美容の仕事もできなければだめだと決意させてくれたんです」

美容の世界では伝説の存在であるビダル・サスーンの仕事に憧れ、ロンドンに数回通い、それからは、年二回はパリを訪れ、新しいヘアデザインの世界の魅力と技術を吸収していきました。

「ヨーロッパで、理容と美容の免許が一本化されていましたし、当時は、ピーコック革命の真っ最中、そんなことにも影響されましたね」

孔雀(ピーコック)のように男も美しくというトレンドの中で、ヨーロッパの美容界の実態に触れ、そして、美容師免許も取得したことで、高橋さんの世界も仕事も広がっていきました。現在では、国内だけでなく、海外でも、プレタ・ポルテ・コレクションのヘアデザインを担当するなどの活躍をされています。

同時に、「ハサミの調整と研磨」という論文で業界の学術論文賞を受賞するなど、ヘアデザイナーとしてのセンスや技術だけでなく、道具そのものまでが高橋さんの熱意の対象となっています。

そうした熱意の表れが写真や煎茶道といった幅広い趣味の世界でも生かされているようです。特に、写真の腕前は趣味の枠を超えて、日本写真家協会に加盟するプロそのもの。雑誌などで仕事もするという、高橋さんのもう一つの顔でもあります。

一般的にいえば、ヘアデザインという華やかな業界では店の所在地も銀座や原宿、六本木といった繁華街の方が有利のように思えます。ところが、フランス語で「黄金の手」を意味する「マンドール」は、支店も埼玉の三郷市や千葉の松戸市といった下町っぽさのある土地ばかり。

「下町気風に対する離れがたさがあるんでしょうね。荒川の街が自分の起点というかヘソのようなもの。だから、この街を中心に仕事を伸ばしていきたいんです。母の時代には、豊かではないのに、夕飯のおかずなんか、たくさん作って、近所に配ってた。面倒見のよさがある。縁側をはさんで、近所が付き合えるというか、そんな近しい関係、いわば縁側文化というものがありましたよね」

最近では、その縁側文化も段々と衰退してきているようです。それだけに、「自分の店が、そうした縁側文化の持っていた人間と人間の付き合いのできる場所になってくれたら、そんなふうに思っているんですよ」

高橋さんの夢と仕事には、まだまだ終わりはないようです。

文・吉弘幸介
カメラ・川島 徹