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No.129  出島 武春(でじま たけはる)

綱へ さあ新たな戦い始動
故郷と地元の暖かい声援を力に

名古屋場所千秋楽、2敗を守った出島関は、1敗の曙を撃破した兄弟子武蔵丸の援護射撃により、ビッグチャンスが巡ってきました。2敗同士の優勝決定戦、出島関が会心の出足で曙を葬り、劇的な大逆転での初優勝。横網・大関を総ナメにしてのⅤ、そして史上4人目の三賞同時受賞も併せて成し遂げ、場所後は文句なしで大関に推挙されました。学生相撲出身では朝潮以16年ぶり、4人目の快挙です。

そんな出島関が所属するのは、東日暮里にある武蔵川部屋です。横網武蔵丸、大関出島をはじめ、武双山、雅山らの有望力士を擁し、若貴両横網が低迷続きの二子山部屋に代わって、角界の新盟主になりそうな勢いのある部屋です。

出島関は相撲が盛んな石川県金沢市に生まれました。小学1年生からまわしを締め、町内会の相撲大会に出場していたといいます。中学時代から本格的に相撲に取り組み、天性の才能を開花させていきました。高校のころには″金沢に出島あり″と、全国にその名が轟いていました。「高校横綱」を含む7タイトルを獲得し、鳴りもの入りで中大に進学しました。

しかし、「網膜裂孔」のケガや、先輩の松本(現玉春日)や栗本(元武哲山)らの卒業により、けいこ相手が不足したことなどで伸び悩みました。「学生横綱」「アマ横綱」といったビッグタイトルは手中に収めることができず、「このままでは相撲人生に悔いが残る」と大相撲入りを決意しました。

平成8年春場所幕下付け出しでデビュー。部屋には武蔵丸や武双山といった押し相撲には格好のけいこ相手がおり「大学の4年間よりプロに入っての半年のほうが伸びた」と本来の大器ぶりを発揮し始めました。

1年後の九州場所には新関脇というスピード出世。しかし好事魔多し、ここでも大きなアクシデントに襲われました。7日目、奇しくも先輩玉春日との対戦でした。鋭い出足で土俵際まで追い詰めましたが、あとひと押しだったその瞬間、左足がにぶい音を立て、そのまま体が崩れ落ちました。すぐに福岡市内の病院に直行、「左足首筋断裂、はく離骨折で全治3か月」と診断されました。

大ケガを負った出島関は1か月以上もの入院生活を余儀なくされ、「2度と土俵には上がれないんじゃないか」と不安な日々を送ったといいます。そんなとき何よりの励ましは、故郷金沢や地元荒川の人々の温かい応援でした。

翌平成10年初場所、春場所と連続全休。都合3場所連続休場明けの夏場所、番付は西前頭11枚目まで急降下していましたが、10勝を挙げ復活ののろしを上げると、その場所から何と8場所連続勝ち越し。一気に大関の座を射止めたのでした。

「東京というと殺伐としたイメージがありますが、荒川は下町の温かみが残る街ですね。故郷金沢と同じように人情味あふれるところだと思います。地元の人々の声援があって、初めて頑張れるわけですからね」

今、一生懸命相撲に取り組んでいるのは、苦しいときに支えてくれた人々への恩返しの意味もあるといいます。新大関として臨む秋場所、綱を目指しての新たな闘いが始まります。

文・長山聡
カメラ・水戸 保夫