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No.125  村田 英憲(むらた ひでのり)

「サザエさん」と共に30年
都電に感じる故郷のにおい

アニメ「サザエさん」が始まったのは、昭和四十四年の秋、今から三十年も前になります。その「サザエさん」を作っているのが、村田さんが社長を務める「エイケン」という会社です。

南千住六丁目にある六階建てのビル。採光には気を使ったというだけに、明るい雰囲気の社内。玄関を入ると、さっそくサザエさんのポスターが出迎えてくれました。

「うちの会社は、昭和二十八年にできたTCJという会社が前身。アニメだけでなくテレビCMなんかも作っていました」

その時代の代表作が「鉄人28号」や「エイトマン」です。一時は、第一次国産アニメブームもあって、仕事は順調でしたが、やがて、スポンサー離れという思わぬ出来事から、アニメの仕事が激減。

「そこで、そのアニメ部門を独立させて作ったのが、この会社なんですよ」

現在の社屋を建てる前、すぐ近くの工場を借りて、「エイケン」の看板を掲げます。

「元の会社は品川。当時、自宅が横浜だったので、その周辺とか杉並あたりの物件を探したんですが、ひょんなことで、荒川区でお世話になることになった。ところがね、それが運命的というか、ここが肌に合ったんでしょうね」

新しいスタートの第一作が「サザエさん」というのも、運命的だったと村田さんは、感慨探そうです。

そして、十年程前、再び会社の移転を考え、八方探したそうですが、結局は、現在の場所にビルを建てることになりました。

「やっぱり、縁があったんでしょうね。今では、荒川だったからエイケンがあると思っていますよ。だから、この町にお返しする意味でも、お客さんは荒川区内の店で接待して、土産も荒川のものにしている」と言います。

村田さんは、昭和三年広島市生まれ。弟さんが原爆で犠牲になり、自身も被爆者の一人です。だからこそでしょうか。「エイケン」が生み出すアニメは「サザエさん」といい、「コボちゃん」といい、争いや憎しみとは無縁な家族や人間のあたたかさをテーマにしたものが多いようです。

「日本の優しい心を持った子供たちに、アットホームで心温まる作品を送り続けていきたい」

そんな思いを語る村田さんが、この荒川という町を気に入っているのは、作品に通じるあたたかさが、この町にあるからかもしれません。

「何といっても人情がありますよ。わたしがね、お客さんをもてなすのに、この町の店を使うのは、店の雰囲気も味もどこに出しても恥ずかしくないということもあるんですよ」

「それに、荒川と言えば、何といっても都電。都電のある町というのがいい」

村田さんの故郷、広島も路面電車の走る町として知られています。そんな共通点もあるのでしょうか。

「時々、都電に乗ると、何か息づかいというか、空気が違うような気がして。う-ん、故郷のにおいがあるのかなぁ」

趣味はカメラと碁。特にカメラ歴は六十年以上とか。中央大学の学生時代には、学生自動車連盟の初代委員長を務めたという村田さんらしい、モダンな趣味といえるかもしれません。

「外国製のいいカメラを手に入れてね。実にいい写真が撮れるのはいいんだけど、重いのが欠点で」

古希を迎えたとは思えない若々しい笑顔が印象的です。

文・吉弘幸介
カメラ・岡田 元章