トップ   >  荒川の人  >  No.114

No.114  山本 耕司(やまもと こうじ)

写真、CD、手話、皿回し
強い好奇心「親しめる町、人は財産」

巨大な怪物の顔、あるいは巨大なバルーン。現代芸術のオブジェが、どんと茶の間に居すわっています。日常の場に突然現れた「非日常」。そんな光景を被写体にした作品が、山本さんの「茶の間にアート」という一連の写真でした。不思議で奇妙な感覚をたたえたその作品の作者も、ある意味では、不思議な人かもしれません。

「職業は写真家ですけど、それ以外にもいろいろやっていますから。え-っと、まずクラシック演奏会の企画に、CDの制作。それに、皿回しですね」

最高七枚まで回せるという腕前。日本皿回し協会の理事でもあるそうです。

「別に、そういったものが自分の中で矛盾しているわけではないんです。たまたま、いろんなことが楽しめるし、味わえるようにできているんでしょうね」

そうした、さまざまなジャンルヘの好奇心は、ただ一つ。「これはいいものだ、と自分で思い込んでしまう」ところから来ています。「それが世の中の基準とはかなり違う場合もありますが」と話す山本さん。

だから、興味を抱いたものが、時流に乗っているとか、いないとかは無縁です。その仕事の一つが、一昨年に写真展を開いた「鉄腕たち」でしょう。

車椅子によるマラソン、そのスピードと、レースに全力をふりしぼる選手たちの姿に魅せられた山本さんは、レースの写真を撮り続けました。 「スポーツとして見て、すごくかっこいいと感じた。だから、今回のパラリンピックでそうした競技がスポーツとして受け止められるようになったのは、うれしいことです」

しかし、この仕事も、個展を開いたことで一段落させたいとか。自費で大分まで出向いたり、本来の仕事と別に続けるには限界もあるからのようです。

もともと写真に興味を抱いていた山本さんが、写真家の道を選んだのは二十七歳のころ。それ以前の職業は、手話通訳土だったそうですから、なかなかユニークです。

知り合いの人が通訳士をやっているのを見たのがきっかけで「小さいころから、人に誉められるようなことをしてませんでしたから」と笑う山本さんです。

昭和二十七年生まれの山本さんは、瑞光小を経て第三日暮里小学校を卒業後、足立区の中学に進みました。二十歳の時再び荒川区に戻り、お子さんの誕生を機に、十五年はど前、現在の西尾久七丁目に自宅を構えました。

「東京の他の地区にくらべどこか田舎っぽさのある街ですよね。新興地と違って、古くからの人が住み続けているせいでしょうか。周りの人との関係が深いというか、親しみやすさがある。いい所ですよ」

写真だけでなく、さまざまな分野で活躍する山本さんの財産は、人とのつながりだといいます。そうした人脈は、ひょっとすると故郷である荒川のあたたかさや親しみやすさに培われたのかもしれません。

「とにかく〝表現したい〟というのが希望です。写真だけでなく、これからもいろんなものをやりたいですね」

そんな山本さんの世界をさらに知りたい方は、山本さんのホームページにアクセスしてはいかがでしょう。

アドレス  http://www.246.ne.jp/~studio-k/

読売新聞記者・吉弘 幸介
カメラ・原  和巳