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No.101  弦哲也(げん てつや)

歌手から作曲へ、ヒット続々―「天城越え」「ふたり酒」、ふたりっ子の「夫婦みち」…
100回コンサート打上げは荒川、区民の歌も

石原裕次郎「北の旅人」、石川さゆり「天城越え」などヒット曲は数知れず。大人気だったNHKの朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」で、演歌歌手のオーロラ輝子こと河合美智子が歌った劇中歌「夫婦みち」も、この人が手がけました。

区民の歌「あらかわ~そして未来へ」「荒川音頭」の作曲者として、ご存じの方も多いでしょうが、荒川との縁は中学三年の時、歌手を目指して千葉県銚子から上京したころにさかのぼります。

「三橋美智也さんや春日八郎さんにあこがれ、担任の先生の紹介で浪曲家の春日井梅鶯先生に弟子入りしました。先生の家が北区の堀船で、荒川へはよく来ました。荒川遊園地や町屋の方は庭みたいなものですよ」

その後、三十年以上、荒川近辺に住んできました。

「引っ越しマニアなので、この辺を行ったり来たり。少しでも物価が安くて住みやす

い所を探すうちに、都心に出る気はなくなりました」

一九六五年、「田村進二」の名で歌手デビュー。しかしヒット曲に恵まれず、好きなギターにちなみ、芸名を「弦てつや」に変えましたが、つらい時代が続きました。

転機になったのは、尊敬する先輩、北島三郎の助言。一緒に地方公演をしている時、「作曲をやってみたら」と勧めてくれたのです。

「ちょうどそのころ、NHKの『あなたのメロディー』という番組で、アマチュアの方が作詞、作助した曲を選ぶ仕事をしていたのですが、そのスタッフから棋士の内藤国雄さんの曲を作ってみないかと声をかけられました」

それが、「おゆき」誕生のきっかけでした。歌手としては苦労しましたが、作曲ではいきなりのヒット。でも、歌手として成功する夢は捨てきれず、作曲家との二足のわらじをはき続けました。

そして「演歌は出逢い」を合言葉に、ギターを抱え、全国百か所コンサートを始めます。「百回の間にヒット曲が出なかったら、歌手をあきらめよう」という決意からでした。

その後、作曲では、美空ひばりの「残?子守歌」、川中美幸の「ふたり酒」などヒットを連発したものの、歌手としては芽の出ないまま。ついに八五年十二月三日、百回目を迎えました。会場はサンパール荒川-。

「最後は地元で、と決めていました。都はるみさんが花束を持って駆けつけてくれるなど、今までで一番思い出に残るステージです」

翌八六年からは作曲家一本で再出発。その第一作が「天城越え」でした。

「そのころ住んでいたのが西尾久。石川さゆりさんにわざわざ都電で自宅に来てもらい、曲の打ち合わせをしました。電車の窓から手を伸ばせば、物干しの洗濯物に触れるような雰囲気を味わってもらってから、演歌の話をしたくて」

打ち合わせの後は近所の飲み屋へ。温かな情緒あふれる下町の雰囲気が、数々の曲を生みました。今も新人歌手のレッスンの後、近所のお好み焼き屋に繰り出すことも。

作曲家として、新人歌手たちを集め、年に一、二回「演歌福の会」と題したコンサートも開いています。二月には、キム・ヨンジャと共に日韓親善コンサートをサンパール荒川で開くなど、活動の幅は広がるばかりです。

「昔は東京を歌った歌がたくさんありましたが、今は少ない。東京の歌、下町の歌を作ってみたいのです」

荒川を歌ったヒット曲を期待しています。

読売新聞記者・多葉田 聡
力メラ・岡田 元章