さぁ300ヤードの豪打で巣立ち
町屋の暴れん坊、父の愛に開眼
昨年の師走、日暮里のホテルで、一人のプロゴルファーを囲んで和やかパーティーが開かれました。その主役が、この年、四度目の挑戦でプロテストに合格した二十六歳の小山内さんでしたが、父の優さんあっての晴れ姿でもありました。
歩んで来た人生の節目には、常に父のやさしい助言がありました。
日体荏原高校に進学。「ゴルフなんてやる気なかった。アメリカンフットボールかラグビーをするつもりだったんです。親父からゴルフをすすめられたのでやりましたが、まじめではなかったですね」。何せビギナーに近いスコアでした。
周囲には、子供の頃からクラブを握っているエリートばかり。選手になるなんて夢のまた夢でした。同じクラスに細川和彦がいたし、一年後輩には丸山茂樹、二年先輩には西川哲という素晴らしさ。細川はプロ三年目の96年、獲得賞金ランキング四位につけた若手のホープです。
人一倍負けず嫌いな性格で、第七峡田小、文京三中と暴れん妨で通しましたが、高校ではゴルフで彼らにかなわず、名前をあげることもなく卒業。このあと、豪州へ語学留学しましたが、これも父の勧めでした。まじめに語学学校に通ってはいましたが、どうも身が入らなかったようです。
帰国して、しばらくブラブラしたあと、栃木県のゴルフ場の研修生へ。さすがにこのときは、「サラリーマンになる頭もなかったから、体を動かして働かなければ」と、チョット真剣になっていました。
研修生の頃は、同僚よりいいスコアをだしていたので、すぐにでもプロになれると思っていたようです。しかし、アマチュアでも出すようなlラウンド80前後でした。
自己過信で張り切るところが、現代っ子とでもいうのでしょう。ここで心配したのが、また父だったようです。つてを頼って息子を「ジャンボ軍団」へ。
尾崎将司ひきいる軍団は猛者ぞろいで、プロヘの厳しさを味わうことになりました。プロテストは、93年は2次で落選。一昨年、昨年はあと一歩の3次で逃しました。その間に学友の細川は、日体大を経て93年のプロテストに一発合格しています。気が弱ければくじけてしまうところでしょう。
「ぼくはめげないタイプ。いつまでも、ぐずぐず考えていても仕方がないでしょう」。気分転換が早いところはいいのですが、反面、淡泊なのが〝遅咲き〟の原因になったのかもしれません。
西川、丸山らも出席しての「励ます会」では、父親のうれしそうな表情が印象的でした。育った町屋七丁目の暴れん坊が、「紳士のスポーツ」でこれから身をたてて行くのだから、感無量だったにちがいありません。
青木功、尾崎将司らは二十二、三歳、ジャック・ニクラウス (米)、グレグ・ノーマン(豪)も二十一歳と、プロデビューは早いにこしたことはありません。しかし、小山内には、明るい性格と、「尾崎さんに負けない」300ヤードのドライバーショットがあります。おおいに期待しましょう。
読売新聞記者・柿沼 正行
カメラ・岡田 元章