「お金ほしい…」みごと大賞
生粋の荒川っ子"四コマ"のホープ
都電に近い東尾久の待ち合わせ場所に現れたのは、短い髪に細いメタルフレームをかけた、ちょっとシャイな感じの好青年。三十一歳の若さですが、四コマ漫画のホープとして、雑誌に新聞に引っ張りだこの人気です。この日も、すぐ近くにある仕事場から抜け出してきてくれました。
「生まれは東尾久ですが、実家がすぐ西尾久に引っ越して、育ちはずっとそこでした。結婚して今住んでいる家も西尾久。実家、自宅、仕事場がそれぞれ停留所一つ分くらいしか離れていないんですよ」
生っ粋の荒川っ子のようです。そんなに住みやすい?
「この辺はビルも建たないし、昔からの商店街もそのままだし、子供のころからあまり変化がないんです。渋谷のような都会は嫌いだし、田舎はもっといやです。こういう東京の下町みたいなところが一番住みやすいかな」
浅沼さんの代表作は、いたずらっ子で、ませた下町の小学生を主人公にした「三丁目のまさる」シリーズ。四コマ漫画雑誌「まんが笑ルーム」(少年画報社)で、もう十年も続いている人気連載です。
「タイトルの由来は、実家が西尾久三丁目にあったので。まさるの世界は、僕の育った昔の西尾久のイメージね」
子供のころは、まさるのような腕白だった?
「いえ、漫画を描くのが好きな、普通の小学生でした(笑)。むしろ、中学、高校生になってからかな、勉強しなくなったのは・・・・。バイト三昧で、高校二年生の時、学校をやめて、千代田工科芸術専門学校の漫画科に入ったんです。ただ、その時は漫画家になれるとは本気で思ってなかった。もう夢よりも現実を考える年齢でしたから」
今さらサラリーマンにはなりたくないし……と悩んだあげく、浅治さんが面接を受けたのが、何と「ホストクラブ」。このあたり、いかにも現代青年的と言えるかもしれません。
ところが、その面接で「白いブレザーは店で貸すけれど、靴とワイシャツとズボンは自分でそろえてくれ」と言われて大弱り。「何せ、そのころは家賃一万円の、共同便所のアパートに住んでいたんですよ余分なお金なんて持っていないんです」
そこで、浅沼さんが狙ったのが、四コマ漫画新人賞の賞金でした。「それまで四コマ漫画を描いたことなかったんですが、四コマなら楽だし、応募ページ数も少ないと思ったんです。図々しいですよね」
しかし人生は分からないもの。お金欲しさで応募した「少年とニワトリ」が、見事、少年画報社の「第七回谷岡ヤスジ賞」大賞に輝きます。
賞金十万円は手に入りましたが、もうホストクラブはどこへやら、仕事の注文が殺到して「いつの問にかプロ漫画家になってました」。この時二十一歳。まさに、漫画のようなデビュー劇でした。
現在、四コマ連載を、夕刊紙二紙を含み、七本を持つ売れっ子。「量産がきかないので、同じ数くらい仕事をお断りしているんです」と申し訳なさそう。妻のひろみさんもベタ塗りやカラーを手伝い、「家族ぐるみ状態」で頑張っているそうです。
昔から変わらぬ西尾久も、「駄菓子屋と銭湯は減ったかな……」とぽつり。
「すもものお菓子って知ってますか。汁が真っ赤で、凍らせてシャリシャリ食べるんです。親には『体に悪い』と随分言われましたが、実はおとといも買ったんですよ」
一瞬、丸坊主で下町を駆け抜ける「まさる」のような少年の顔がのぞきました。
読売新聞記者・石田 汗太
カメラ・岡田 元章