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No.95  清水 正智(しみずまさとも)

診療と両立、夢は父子レース
校医も10年「活気あふれる西日暮里」

地下鉄・曙橋駅の真上、ビルの二階にある清水歯科。診療所のドアを開けると、鼻をつく消毒薬の臭いとともに、一枚のカラー写真が目に飛び込んで来ました。赤いヘルメットをかぶった先生の「雄姿」です。そう、清水さんの本業は歯医者さん、そして″副業″はカーレーサーというわけです。

清水さんが自動車レースの魅力にとりつかれたのは、まだ高校生だった十八歳の時でした。ちょうどこの頃、船橋ヘルスセンターにサーキット場が完成。「友達に誘われて行ったのがきっかけになりました。十六歳で軽免許を取ってジムカーナに出たりはいったりしていたんですが、現在のように盛んではありませんでした。でもこの時、プロのレーサーになろうと決心したんです」

で、大学に進学せず、ストックカー・レースなどに出場する毎日。しかし「なかなかスポンサーもつかないし、こりゃあ、レースだけでは生活できないのでは」と、遅まきながら二十歳で日本歯科大学へ。ご両親がお医者さんという家庭に育ったこともあったのでしょうが、歯科学生のレーサーというのがウケて、ガム会社がスポンサーとして名乗りを上げてくれる事に。

「いまも現役で活躍している高橋国光さんらに、本物の戦い方、レースのやりかたを教えてもらいました」という清水さんは、昭和五十七年フォーミュラー選手権で五位になって、一流レーサーの仲間入り。以後、六十一年富士GCシリーズ九位、全日本F2シリーズ十三位、そして平成三年のフォーミュラー45シリーズでは、チャンピオンに輝きました。

この間、死線をさ迷うような大事故も体験しています。四十八年に富士スピードウェイで行われたグランド・チャンピオン・レース。ローリング方式でスタートを切った直後、他車と激突して車が炎上し、大ヤケドを負いました。なんと四百五十針もぬう大手術。「いまだに物をしっかり握れなくて。まあ、左手なので仕事に支障はありませんが」

現在、清水さんは曙橋のほか、西日暮里と埼玉県三郷市の三か所で、診療所を開業しています。

生まれは福島県の白河。「でも、二歳の頃、西日暮里に越してきました。もともと住宅街なので、大きい建物といえば開成学園ぐらい。町並みはボクが子供の頃と、ほとんど同じです。ただ駅の近辺は、ものすごく変わりましたね。高いビルが建って。活気も昔と比べぜ-んぜん」

こんな清水さんが、いまも懐かしく思い出すのは、第一日暮里小学校の校医を勤めたこと。「四、五年前にやめましたが、それまで十年近く続けたでしょうか」。子供の頃お世話になった方も多いのではないでしょうか。

「ボクは過去を振り返るのが嫌いなんです。だから体力と闘争心があるうちは、レースに出るつもりです」。四十九歳のいまも週二回のトレーニング・センター通いを欠かしません。十六種類のマシンを使った筋トレ、自転車こぎ、さらにエアロビクスと、たっぷり三時間は汗をかきます。とりあえずの目標は、来年三月からのGT選手権シリーズ出場です。

いま、清水さんは大きな夢を描いています。長男で日本歯科大学四年生の剛君と、同じレースに出場したいというのがそれ。

「剛はボクと同じように、十八歳の時からレースに出ているんです。今では年間賞金二千万円は稼ぐのでは。一度、手合わせしたいんですよ」

この時ばかりは、父親の顔がのぞきました。

読売新聞記者・岡  敬
カメラ・岡田 元章