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No.90  武蔵丸 光洋(むさしまるみつひろ)

「帰化でみんなの仲間に」
親しまれる人柄、お酒は弱い"西郷"さん

「あの時は緊張したよ。別の世界にいるようだった」。夏場所前にこのインタビューをしました が、大関は四月中旬に橋本首相主催の昼食会で、クリントン米国大統領夫妻と会 った時の感激がまださめやらぬといった感じでした。

日本相撲協会の境川理事長(元横綱佐田の山)、東関親方(元関脇高見山)、横綱曙とともに招待されたのですが、「お相撲さんになっていなかったら、こんな経験もできなかったね」。ハワイのオアフ島にいた時は、アメリカ本土にも行ったことがなかったそうです。

高校時代に、ハワイにいる武蔵川親方(元横綱三重ノ海)の知人に誘われたのが、大相撲の門をたたくきっかけになりました。「日本については、島国ということぐらいしか知らなかった」。相撲社会は上下の関係が厳しく、プライバシーもないところです。日本の若い人でもなかなかなじめず新弟子の五人に一人は、一年もたたないうちにやめていきます。

まして、言葉が分からず、慣習も違う外国人となれば、その苦労は並み大抵ではありません。「日本語は、部屋の人たちが話しているのを聞いて覚えた。一年ぐらいかかったかな。一つの言葉でいくつも意味があるので、難しかった。『はし』には、食事のときに使う箸とかブリッジ(橋)とかがあるでしょ」。

平成元年秋場所、十八歳で初土俵を踏んだ時には、十五歳の兄弟子がいました。「その人の言うことを聞けと言われ、何だと思ったね。でも、我慢したよ。寂しい時は一人で音楽を聴いていた」。

同じハワイ出身の東関親方も、つらかった新弟子時代のことをこう話しています。「目から汗が出たことがある。早く強くなりたいと思った」と。武蔵丸もそうですが、涙を流してもそう言わないのは、さすが勝負の世界に生きている人たちです。

食事はとくに苦労しませんでした。「梅干しも食べられるようになった。だめなのは納豆ぐらい。ただ、お酒は一杯でアウトだけど」。お酒が苦手とは、破壊力抜群の突き押し相撲を見せる、土俵上の姿からは想像もできません。

ところで、風貌といえば、西郷(隆盛)さんに似ているとよく言われます。そこで小結時代に西郷さんに″面会"しようと、上野の山に出掛けたことがあります。しかし、「人目につかないよう夜に行ったので、場所がわからなかった。そのまま(銅像を)見ないで帰ってきた」とか。

大相撲に入ってからのスピード出世は、ご存じの通りです。平成六年初場所後、大関に昇進し、東日暮里四丁目の武蔵川部屋に相撲協会の使者を迎えました。「日本の心を持って、相撲道に精進します」。その口上は印象的でした。

それから二年後の今年一月、日本への帰化が認められました。「武蔵丸光洋」。日本名は四股名と同じです。「みんなの仲間に入れてもらえて、うれしかった」。

けいこが終わって部屋の外でくつろいでいる時などに、近所の人に声を掛けられることがあります。「頑張れよとか、東京で優勝してパレードを見せてくださいとかね」。確かに全勝で初優勝したのは一昨年の名古屋場所で、それ以後はちょっと足踏み状態が続いています。

地元の人たちが待ち望んでいるのは、優勝パレードはもちろん、横綱昇進を伝える使者を一日も早く迎えたいということでしょう。弟弟子の武双山も力をつけてきました。二十五歳。そろそろ「のんびり屋」は返上してもいいころです。

読売新聞記者・永島 武夫
カメラ・岡田 元章