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No.85  桐山 国由(きりやまくにゆき)

「目先の勝ちより心の育成」
地元の応援に感謝、熱い交流

昨年二月、東尾久二丁目に「桐山部屋」を開いてから、初めての正月を迎えました。区内では、東日暮里にある武蔵川部屋に続いて二つ目の相撲部屋とあって、横綱貴乃花も駆け付けた部屋開きには、あふれんばかりの人が集まりました。

それから、もうすぐ一年。最初は弟子も三人でしたが、昨年中に二人増え、今年三月の大阪場所から、さらに二人加わる予定です。昨年暮れの九州場所で勝ち越した播磨海と鳴嵐が幕下に昇進して初場所を迎えるなど、まずは順調なスタートを切っています。

「地元商店街を中心に、多くの方が後援会に入って応援してくださったのが、とても励みになりました。でも、番付が上がる、上がらないは、あまり気にしていません。力がつけば上がることは分かっています。若い衆には、目先の場所で勝つけいこではなく、その先で負けないためのけいこをしろと教えています」と、あくまで謙虚です。

「地域の人にかわいがってもらわなければ、部屋は成りたたない」が口ぐせ。区民との交流にも熱心に取り組んできました。区内の小学生を部屋に招待して親方自ら相撲を教えたり、地方巡業で忙しい合間を縫って夏の盆踊りなどにも積極的に参加しました。昨年末、地元の後援会員を部屋に招いて開いた「ちゃんこ会」も、その一環です。

「われわれがふだん食べている手作りのちゃんこを食べて頂く集まりです。予想を上回る百五十人以上の希望があり、二日間の予定が三日間になりました。会員の方には、番付表やカレンダーを送るだけでなく、実際に部屋の門をくぐって見てもらいたいと考えています」

平成元年、文京区から荒川に引っ越してきました。国技館に近い場所を探していたところ、都電荒川線の熊野前駅近くの街並みを見て「下町の雰囲気があって、いっペんに気に入った」とか。国技館へも、当初は三ノ輪から浅草を通って、自転車で通っていました。部屋を構えて忙しくなる前は、荒川の土手を西新井橋まで歩いて帰って来るのが、毎朝の散歩コースだったそうです。

まだ、弟子の数が少ないため、けいこは他の部屋に出向いて行うことが多いのが悩みの種とか。

「部屋があるのに、地元の多くの人にけいこを見てもらえないのは残念です。しかし、せっかく土俵があるのだから、相撲の好きな子供たちがいたら、どんどん使ってもらいたい。まだまだ始まったばかりの小さな部屋ですが、こまかい所にも目が届くという良い点もある。それを分かってもらうためにも、部屋に足を運んでもらいたいですね」

ゆくゆくは、地元出身の弟子を育てるのが夢。「相撲協会には九百人の力士がいて、関取はわずか六十六人。みんなが関取になれる訳ではありません。途中でやめる者が多い。だからこそ、心を育てなければならないと思います。親御さんから責任を持って預かった以上、桐山部屋で育った者なら安心して『うちに来いよ』と声をかけて預けるような人間を育てたい」

弟子の教育にかける情熱が、ひしひしと伝わってきました。

「自分たちの時代が終わっても、この場所で次の世代に部屋を続けていって欲しい。町に部屋を育ててもらいながら、一体となって大きくなっていきたいですね」
終始、まじめで朴とつな人柄がにじみ出る語り口。今年は、さらに飛躍が期待できそうです。

読売新聞記者・多葉田 聡
カメラ・岡田 元章