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No.79  岩田 恵子(いわた けいこ)

「紙一枚あれば文字で会話も」
夜も明るく、気楽で好きな町

名刺の肩書には「埼玉県社会福祉事業団・障害者交流センター・手話通訳派遣事務所・ろうあ者相談員」とあります。どんなお仕事を?
「耳が聞こえない方の家庭を訪問したり様々な相談に応じる仕事です。社会生活の中で起こるいろいろなトラブルの相談、法律相談、子育ての悩みなどでしょうか」

NHKの「みんなの手話」も、その仕事の一つ。昨年四月から担当しています。

「簡単に言えば、皆さんに手話を知ってもらうための講座です。大切な仕事だと思います。月曜日の放送で、多くの方に見ていただきたいと思えば思うほど緊張してしまいまして……」

平常の勤務先は埼玉県浦和市。熊谷市の自宅から一時間三十分かけ通勤しています。

「熊谷市は隅田川の上流で私が生まれ育った荒川五丁目とつながっているような気がします。結婚してから十二年になります。生まれた時から耳が聞こえないので、京成に乗って市川市にある東京教育大付属ろう学校の幼稚部から高等部まで通いました。それから淑徳大の社会福祉学部を卒業して今の仕事に」という経歴。子どものころ、学校時代の思い出は?

「そう、今になって思うとつらかったですね。音、声が聞こえないことで、ほかの子どもたちと遊べない。寂しく思っていました。両親も聞こえませんでしたから。社会福祉の仕事を目指したのは、そんな体験を経たからでしょうか。大学では様々な経験をしました。講義があるでしょ。講師が『書く』ものは読んで理解できるのですが、『読む』ものは理解できません。健常者の世界では当たり前でも、私たちにとっては大変なことです。教科書がないと分からない。『書く』『記録』することの大切さを多くの人に理解してもらいました。今も機会あるごとにお願いしています」

オレンジ色のスーツがよく似合う明るい表情で、通訳を介してのインタビュー。手話による「言葉」は大変多いのですが、その明快な″口調″が続きます。

「今も荒川に両親が住んでいます。年に何回か、会社員の夫や小学校五年の娘といっしょに里帰りしますが、熊谷は夜七時になると家の周囲が真っ暗ですからね。荒川に来ると、まず夜が明るいでしょ。魚屋さんに八百屋さん。昔は専門店だった店がスーパーになったところもありますね。娘は、もんじゃ焼きが好きで、来ると必ず食べに出掛けます。それから銭湯が大好きです。エプロンがけ、ゲタばきで歩ける町の雰囲気がいいのです。季節で言えば夏かな。明るくて気楽で……」

今の仕事を通して、理解を求めたいことは?

「そうですね。幾つかあります。例えば、レストランで『ご注文の品を繰り返します』といわれるでしょ。その時、私たちは聞こえないということを理解していただいて、メニューを指すなど、ぜひ文字で確認していただきたいと思います。また、何かの機会に、後ろから声をかけられた時、私たちは聞こえないから振り向かない訳ですね。そんな時には『無反応』と思わないでほしいのです。声をかけても振り向かない人に対しては、『聞こえないのかな?』と思ってほしいのですね。そんな思いやりを持って頂きたい。それが優しということになるのです」

そして「出来るだけ、皆さんと多くの会話を持ちたいと思います。手話でなくても紙が一枚あれば、文字を書くという便利な手段で、文章を通してお話しが出来ますもの」と明るく結んだ。

読売新聞記者・寺村  敏
カメラ・水谷 昭士