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No.74  中舘 英二(なかだて えいじ)

名馬(ヒシアマゾン)と組み世界をめざす
小さな体…母のすすめで養成所へ

牝馬ヒシアマゾンに騎乗して、昨年秋のエリザベス女王杯を制し、暮れの有馬記念では堂々二着に入ってファンをわかせた中舘さんは、六瑞小、一中卒の、生粋の荒川人です。現在は所属きゅう舎のある茨城県美浦近くに住んでいますが、ご両親の住む荒川一丁目に里帰りした機会にインタビューしました。

─昨年はどんな一年でしたか。

騎手生活十二年で最高の年でした。とくにエリザベス女王杯に勝つのが念願でしたので、勝利のあとじわじわと喜びがこみ上げてきました。

─獲得賞金は?

去年は総額約十四億円です。現役騎手百人ほどのなかで七、八位くらいでしょうか。騎手の懐に入るのは五パーセントと決められています。

─毎日どういう生活ですか。

火、水、木は、朝七時から美浦のトレーニングセンターで調教が始まります。その一時間前にきゅう舎に行ってミーティング。一頭当たり二、三十分かけ、七、八頭調教し、馬の状態を見てスタッフとディスカッションしてレースに使う馬を決め、獣医さんに報告などして、夕方五時に終わります。

─レースは土、日ですね。

金曜日の正午までに競馬場の調整ルームに入ってカンヅメになります。そこでは別にすることはないのですが、体重の重い人は、ご飯を食べなかったりして減量が大変です。私はずっと四十八・五㌔ほどで軽い体重なのでその心配はありません。土、日の二日で十頭位に騎乗します。

─勝ち負けを左右するのは?

馬9、人1ですよ。いい馬に巡り会えるかどうかで九割方決まるのです.その点、ヒシアマゾンは最初から自信がありました。この馬は負けるはずない、と。

─馬もいろいろでしょうね。

そうですね。名馬といわれるのは、姿形、毛並みがよく、血統がいい。気性が素直でいて勝負根性を備えています。素直でない馬でも、なだめながらレース運びするのが自分たちの仕事です。

─騎手になったきっかけは?

馬のことはまるっきり知らなかったのですが、母親が中山競馬場でアルバイトをやっていて、小学生のころから体の小さかった私に、高校、大学へ行くばかりが人生じゃない、騎手になれ、と毎日じわじわといわれて、自分の人生はそれしかないんだ、という感じで、馬事公苑にある騎手養成所に入りました。

─どうでした。

朝は四時起き、教官の靴磨きから庭の掃除、風呂を沸かし、雑用は何でもし、怒鳴られ、たたかれ、落とされ。

─落とされ?

指示どおりにできないと、教官が馬をステッキでたたくのです。馬が驚いて急に動き出す。乗っている者はストンと面白いように落ちます。養成所を二年で終え、試験に合格して免許を取りました。

─馬券は?

規則で競馬関係者は買えないことになってますが、たとえ買っても当たりませんよ。こんな馬がと思ったのが勝つのですから。騎手が分からないのだから、ファンがなかなか当たらないのは当たり前です。

─荒川のことどう思います?

小さい頃は、まだ東京スタジアムがありました。家が近くだったからか、タダ券をもらってよく野球を見にいきましたよ。父も母も荒川に生まれ育ち、自分が育った土壌を作ってくれた所で所ですから、荒川出身を誇りに思っています。

中舘さんは今年二十九歳ですでに通算三百六十勝しています。東京競馬場で場内アナウンスをしていた四歳年上の雅子夫人と結ばれ、長女の夏穂ちゃん(三つ)との三人暮らし。昨年末にはアメリカ遠征で初の海外一勝をあげましたが、今年はヒシアマゾンでアメリカのGlレースに勝つのが夢。いまや世界へ飛躍しようとしています。

読売新聞編集委員・平田明隆
カメラ・水谷昭士