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No.72  加藤 金治(かとう きんじ)

修行・放浪・演劇にも熱中
エレクトリック三味線考案が成功

加藤さんは4年前、世界初のエレクトリック三味線(商品名「夢宏21」)を完成、発売しました。これが大成功で、いま各地の演奏会で使われています。日本古来のお座敷楽器は、いまやサントリーホールでの演奏やミュージカルでオーケストラと競演する楽器にまでなったのです。その一方で、自分の店でコンサートを開くなど、三味線復活をめざしている生粋の荒川っ子です。

─エレキ三味線と言ってもいいのですか。

もちろん。電気三味線という人もいます。以前から、ただマイクを付けただけの三味線はありましたが、これでは音は大きくなっても三味線本来の音色は出ないのです。仲間とノウハウを持ち寄り、皮の裏面に基盤を取りつけるなどいろいろ工夫して、そのデリケートな生の音をそのまま増幅させるのに成功したのが夢弦21です。全部手作りで既に50丁ほど出ています。試作試演は平成2年7月、日暮里サニーホールで開き反響を呼びました。特許申請中です。

─どうして三味線の仕事を?

中学(第五中)を卒業してすぐ三味線の皮張りの仕事につきました。親が年をとっていたので、働くのが当たり前みたいになっていたのです。7年間仕事を続け、みんなが大学を出る22歳で上野高校定時制を卒業し、2年間全国放浪の旅に出ました。

─どんな旅ですか。

まあ、はじけるようにと言いますか、とにかく世間を見たい一心からです。ヒッチハイク、野宿、お金がなくなると先々でアルバイトをしながらの旅です。旅で得たものは、一言で言えは、人々との出会いの楽しさです。今やっていることもその延長線上にあるといえます。

─それから演劇をおやりになったのですね。

ええ、ちょっとしたことから芝居と出会い、養成所に通ってからアマチュア演劇をやりました。24歳から皮張りの仕事を独立した職人としてやっておりましたので、演劇活動は夜です。世仁下乃一座(よにげのいちざ)という劇団で紀伊国屋演劇賞を受賞してから評判になり、NHKの芸術劇場に出たり、全国の鑑賞団体からの引き合いが多くなりものすごく忙しくなったのです。これでは本業がおろそかになるので、6年前に15年続けた演劇をやめました。

─それからお店を持った。

ええ。「三味線かとう」という小物も売る店です。お客さんがおもしろがって来てくれるようにと始めたのが「ちとしゃん亭」と名づけた三味線のコンサートです。商品を片付けて、外には縁台を置き、内と外で60人くらいの客席をつくり、歩道は立ち見席。いつもいっぱいになります。ご近所の迷惑にならない程度に音を出して演奏します。風呂帰りの桶を持ったまま立ち止まって聞いている人や、すぐ後ろを走っている都電の乗客が、あれは何だと気づいて次の停留所で降りて、戻って見に来たりしています。もう15回やりました。

─昔は路地裏から三味の音が聞こえたものですが、その現代版ですね。

流派や何とか会の演奏会とちがって、オープンなのがいいと思っています。

町屋4丁目に生まれ、現在東尾久6丁目に店を持つ加藤さんは今年47歳。少年のころ街頭テレビに群がった世代です。駄菓子屋をやっていた親が大金をはたいて買ったテレビに子どもも大人も集まったそうです。それが原風景となり、旅で知った出会いの楽しさが加わって、三味線という放っておけば消えていきそうな日本の伝統を軸に、新しい下町文化を育もうとしています。一女二男の父です。

読売新聞編集委員・平田明隆
カメラ・水谷昭士