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No.64  梅蘭(めいらん)

歌・講演・会社…広がる夢
この町には"帰る場所"の安らぎ

西日暮皇にあるマンションり一室。名刺を差し出して、「私がメイランです。よろしくね」と、ほほ笑みながら、まずは西日暮里について、いかに気に入っているかについて話し始めます。

「西に日が暮れる里というのが何となくすてきです。ここで生活するようになって三年かな。まず交通が便利でしょ。私が思うのに、麻布とか青山は帰る場所じゃなくて行く場所です。都心には老人とか子供がいないでしょ。ここにはいる。本当に帰る場所って気がする。赤坂とか新宿など、仕事に出掛けるのにもとても便利です」

名刺には「チャイニーズドリーム21・代表取締役」とあります。どんな仕事をしていらっしゃるのでしょう。

「本業は歌手です。いろんなところで歌いますよ。一か月にライブハウスなどを含めると二十回くらいでしょうか。以前はアイドル歌手としての道を歩みましたが、有名になる前に独立して、自分の事務所を開きました。最近も大阪、岡山で歌いました。いろんなショーのゲスト出演も多く、『夜来春』とか『何日君再来』などを歌います」

でも「本当は日本の歌が大好きです。美空ひばりさんの『お祭りマンボ』とか。同じ美空ひばりさんでも『悲しい酒』のようなものは、人生経験の少ない私には難しい。ほかにも明るい曲が大好きで、例えばホイットニー・ヒューストンなんか」

歌手活動の一方で、日本企業の海外進出のお手伝いなど「日本と海外を結ぶ橋渡し・コーディネート」という仕事もしています。それに加えて最近は講演の依頼も増えているそうです。

「中国の話をしてほしいという依頼、それから外国人として日本や日本人をどう見るかという話の依頼もあります。最近は不景気でしょ。これを励ます講演会もあります。四十分から二時間の話をするので、勉強して原稿を作ってから話します。私の教科書は孟子と荘子です。考え方としていろいろ教えられることが多いのです」

日本に来たのは一九八八年の八月八日。上海に生まれ育ち、恵まれた少女持代を過ごしましたが、幼いころから合唱団で歌いながら、歌手、女優の道を志していました。日本のアニメのテレビ放送の時、吹き替えで主題歌を歌うようなこともしましたが、仕事の可能性を求めて、大学を中退、父親の反対を押し切り、友人を頼って東京にやって来ました。

「成田空港に着いた時にはトランク四つと日本のお金が五千円だけ。都心までの交通費を使って、地図を買ったら残りは千五百円。留学生の友人と生活しながら一歩ずつ歩き始めました」

その特はまだ十八歳。日本語をほとんど知らなかったそうですが、今は驚くほど正確に話します。

「ちゃんと習ったことはないんですよ。まず歌を聴いて歌詞の意味を理解し、次はテレビのドラマを見て学びます。昼間は忙しいでしょ。だから会話をビデオに録画して夜中に勉強です。正確な話術はニュース番組が先生です。それから丁寧な言葉は、皇室用語辞典を見て覚えました」

それから六年の歳月が流れ、二十四歳の若さで現在の地位を確立しました。「歩き始めたはかりです」と言いながら夢が広がります。

「まだ故郷に報告出来るような仕事にはなっていません。好きな事をやっていますから、つらいと感じない事を幸せに感じながら頑張って、大きな会社を経営したいと思っています」

読売新聞記者・寺村  敏
カメラ・水谷 昭士