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No.60  狩野 洋一(かのう よういち)

"麻雀プロ日本一"から作家へ
本格競馬ミステリーに自信

「マージャンの入門者が四十万人いるそうです。私が書いた『席雀の本』など六冊の入門書が、合わせて年に二万五千部増刷、これまでに十万部を超えています。入門する人のうち、四人に一人は読んでいることになるのでしょうか」

「三日問でわかる麻雀の本」(日本文芸社)を手に、日暮里駅に近いマンションの仕事部屋で、こう話し始めました。住まいとは隣り合わせ。「本当の職住接近です。夜中の三時に起きます。それから仕事を始めて昼前に終え、午後は本を読んだり博物館へいったりという生活をしています。書く原稿は毎日十五枚、月に四百枚ぐらいでしょうか」
北海道・函館の生まれで、四歳の時に父親からマージャンを教わり、競馬にも連れて行ってもらったそうで、「そのころからもう、頭脳構造はマージャンと競馬に向かって動き始めていたのでしょうか。その父は結局、競馬とマージャンで破滅してしまいましたが、文学少女だったおふくろは天国で、そして地獄にいるおやじも今の僕を見ているような気がします」と、かけ事との出会いの説明を丁寧にしてくれます。

荒川での生活は小学校二年から。台東区の小・中学校で学びましたが、「自分の田舎は日暮里」の意識。今も上野の森、谷中を散歩のコースにしています。

東大を目指して二浪、早大商学部を卒業して、まず進んだ仕事が競馬専門紙「競友」記者。その後、日暮里駅前で飲食店を経営、旅行会社を経て、三十八歳でマージャンのプロ日本一に。「第六期最高位」の「栄誉」に輝きました。

カルチャーセンターのマージャン講座の講師として引っ張りだこで、マージャンの入門書はベストセラーになりました。さらに競馬関係でも「オグリキャップ」を出します。自ら「ヒット」と評価する会心の作で、続いて「日本のディック・フランシスを目指して、競馬ミステリーを書き始めました」。

四十八歳でミステリー作家としてデビュー。一冊は「有馬記念殺人事件」、もう一冊は「平成ダービー殺人事件」(ともに大陸書房)で、帯には「麻雀プロ日本一になった狩野さんの小説だけあって、ストーリーの展開がユニーク。競馬を知らない人でも面白く読める」という柴田政人騎手の推薦の言葉が入っています。

そして続く第三作目がハードカバーの「シアンの血脈」(出版芸術社)。これは「推理小説の老大家が殺された。遺された長編競馬ミステリーに謎を解くカギが!」という″傑作長編本格競馬ミステリー"。来年早々には、「ダービーを盗んだ男」が出ることになっています。

「競馬はロマン、馬券はギャンブルですが、僕が書く競馬ミステリーは、いずれも競馬の楽しさが入っています。もうかるものではない怖さの中にあるミステリーでしょうか。『シアンの血脈』は今になって思うと、ハードカバーの第一作というので力が入り過ぎて七十点というところでしょうか。『ダービーを盗んだ男』は、記者時代に感じていた競馬界の問題点もえぐっていて、八十点の力作だと思っています」と自信のほどをのぞかせています。

「いままで、やろうと思ったことはすべて実現してきました」といううらやましい人生。それなりの努力をしたから実現したのでしょう。趣味が仕事になり、その仕事は順調ですが、「一九四二年生まれの僕が、やっと新米ミステリー作家になりました。今までやってきたことが無駄ではなかった」というのが現在の心境だそうです。

読売新聞記者・寺村  敏
カメラ・原  和巳