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No.55  井崎 脩五郎(いざき しゅうごろう)

「競馬に必勝法なんてない」
バイト時代、大当たりしてやみつき

池袋の名所サンシャインシティー近くにある三階建ての社屋がホース・ニュース社。「馬」と描かれた看板の横にある扉を開けて階段を上がると三階に編集局があり、そこで、「馬」紙上に「ガハハ塾」「データ作戦」というコラムを執筆。フジテレビ日曜の「スーパー競馬」などに出演して「明るい予想」を披露しています。

「土曜と日曜発行ですから週末は大忙し。土曜、日曜に開催された中央競馬のデータを月曜に整理しまして、火曜と水曜は休み。木、金、土曜で編集、日曜は競馬場へという生活です。慣れると大変というほどではありません」

いやいや大変な仕事。「競馬評論家」という職業は「予想」をするのだから責任重大。

参考にして馬券を購入する人がいるわけですから。

「評論も批評もしませんが、予想だけはしなくちゃなりません。でも本当のところは分からないんですよ。皆さんと同じで。例えは今年春のオークスですが、何と自分で五十一通りも買いまして、それでも取れない。そんなものなのですよ。ええ、すべてのレースを買います。一レース五点ずつ買って一日に六十点。なぜ買うかというと、せっかくいろんなデータを調ベたのだからというのが理由。一レースに投じるお金は千円と決めています」

意外な言葉。では井崎さんは愛好家にとって何なのでしょう。

「同じ立場の人間とでも言いましょうか。いくら頑張って予想しても、なかなか的中しないのが愛好家でしょ。僕も同じで、評論家でも的中しないのだから自分がはずれるのは当たり前と思っていただけるような存在。ファンが評論家をやってると見られれば大成功」

いつごろからこの道に。競馬との出会いは?

「父親が会社員でして、社宅があった西尾久で育ちました。尾久第六小時代はオール5の秀才。荒川七中、葛飾野高校から明大商学部に進みましたが、中学のころから勉強はしませんでした。高校では落語研究会で、アラン亭ドロンと名乗って活動しました。大学時代は紛争の真っただ中で授業なし。マージャン漬けになり、アルバイトに精を出す生活が始まりました」

そこで生涯を左右する劇的な競馬と出会うことになります。

「シャツ屋さんで働きました。裁断屋さんに行って待っている時に、そこの親父さんに薦められて買ったのがクレバーミナトとヒシヤクシンの5-6という馬券。二百円が五千円になりました。これが間違いの始まり・・・」

青春時代の真ん中、大学三年生の時に初めて中山競馬場へ。

「驚きました。大人たちはこんな面白いゲームに熱中している。大の大人が、的中したと言っては飛び跳ねる。それよりも、あの騎手のハデハデな衣装。職業はこの道と決めました」

卒業したのが昭和四十五年。縁あってホース・ニュース社に入り、もう二十三年。「燃える競馬青年」は四十六歳になりました。さて今の心境は。

「競馬は必勝法などないのですよ。これは本当です。いかに井崎は当てにならないかということを知っていただきながら、多くのファンの方と哀歓を共有出来るような存在に」と考えているそうで、「いつも明るくいきたいですね」と結び、「皆さんもぜひ、ご自分の財布と相談しながら無理のない楽しい競馬を」と強調しました。

読売新聞記者・寺村 敏
カメラ・水谷 昭士