戦災、級友…思い出の町屋
『民主主義読本』に感動も
石川先生の専門は、社会心理学。大衆社会時代のマスコミ論、テレビCM、広告などの幅広い文化現象を鋭く分析。新聞、雑誌、テレビでも活躍、「欲望の戦後史」「日本人のライフスタイル」など数多くの著書もあります。そうした研究や活動の原点は、「生まれ育った町屋」とか。
─町屋には、いつまで。
「今は世田谷ですが、一橋大学の2年まで町屋2丁目にいました。小学校も第九峡田。そこから昔の府立十一中、今の江北高校に進み、同級生の友人が、今も町屋、南千住、北千住にずいぶんいますよ」
トリ年、年男で還暦の先生は、少年時代、あの戦争で明け暮れました。
─大変な時代でしたね。
「学童疎開は、飯坂温泉の隣の湯野温泉でしたが、卒業のため3月に帰ったら、東京大空襲。どこへ逃げたか覚えていない。祖父の建てた長屋は、本体は助かったものの、辺り一面焼け野原。軍隊が、焼死体をまるで薪を頼むように荷車にイゲタに組んで運ぶのを目撃したり、中学登校の途中、川で水死体を見るのも日常茶飯事。建築業の後、宮内庁の営繕に勤めた父と、電信柱を掘り起こすと塗ったコールタールのせいかよく燃え、どこからか都合した米を炊いたのを覚えてるな。欲望は人間のエネルギーの原点だというのが、その後の研究につながってますね」
─民主主義体験では・・・。
「中学は、スミ塗り教科書時代。社会科の先生が、後で考えると、西田幾多郎の『善の研究』をかみ砕いて教えてくれたものでした。しばらくして『民主主義読本』上下二巻を手にした時は感動した。今でも、大切にとってある。近頃、民主主義の悪口を言う向きもいるが、腹が立ってしようがない。また三河島のドン・ボスコ教会で外人から英会話を習い、おかげで外人アレルギーを味わずにすみました」
─いずれにしろ、町屋は少年時の思い出がいっぱい…。
「本当に懐かしい。友人も町屋のせんべい屋とか。長屋の隣に近衛十四郎一家がいて、松方弘樹とも遊んだな。この間会ったら、じゃー家主だったんだなんて笑ってました。常磐線で中学に登校途中、南千住と北千住の間に、例のお化け煙突が一本に見えるところもあった。隅田川、荒川でもよく泳いだし、尾久と町屋の間に池があって大きな草魚がいるので、フルチンで入ってはいかんと怒られた」
─町屋も変わりましたが。
「荒川線の町屋駅のそばに大きなビルができたり、先日火葬揚に行ったら、余り立派になったのでたまげたね。ある雑誌の編集長の話だと、尾竹橋へ行く途中、東京で一番、そのバーテンダーを知らなければモグリと言われるカクテル・バーもあるとか」
─今後の町屋の発展の方向については・・・。
「古くて良いものは残してほしい。例えば昔、少年時代によく使った『キマリワリイ』などの言葉。同じ下町でも、千葉、茨城、栃木と江戸の混ざった独特の″町屋言葉"なんです。口調を落語で言うと、円生。気が短くて、威勢のいいタンカを切るあれです」
─社会心理学的イメージでいうと、どうでしょう。
「今、再開発も進んでいますが、ジェントリフィケイション。つまり、紳士的というか、ランクアップが課題です。都市論的にも興味がある。30~50年プランで、落ち着いた方向を創り出してほしい。チンチン電車の走る町というのは絶対いい。その雰囲気は壊さないでもらいたいですね」
文・真下 孝雄
カメラ・水谷 昭士