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No.48  須永 博士(すなが ひろし)

詩と絵を友に放浪の旅
「人の心のトゲを抜き」30年

南千住六丁目のお宅を訪ねました。玄関を入ると、須永さんの直筆のかわいい絵のパネルがいっぱい。明日から、旅に出る支度をしていたのです。

─こんどはどちらへ?

静岡、焼津、名古屋、明石・・・・。途中、四、五日帰ってきますが、旅は二月頃まで続きます。そして、四月からまた旅です。大人になって三十年、その四分の三はリュックを背負っての放浪人生です。

─リュックの中は?

着替えとペンとカメラ、それにビールとおつまみ少々。

─旅先ではどうしているのですか。

路上で展覧会やったり、講演を頼まれたり。こんどは病院の看護婦さんや養譲学校から呼ばれています。請われるままに、一人一人パネルに詩を書いてあげるのです。

話をすると、だれでも私に胸を開いてくれます。悩みは十人十色。幸せな人はそのままでいい。解決つかない苦しみのある人の心のトゲをほんの少し抜いてあげるのです。

─どんな詩を?

相手によって即興で。私の原点ともなっているのが…

小さな夢を いつも心の中にもっていると 生きていることが 何となくたのしくなります

たった一度の人生を たったひとつの生命を大切にしていつまでも小さな夢を持って 生きていくこと

それが私の 小さな夢なのです

─詩の道に入ったのは?

第三瑞光小、荒川二中(現南千住二中)に学び、神田の錦城学園高を卒業して、タイヤの会社にセールスで就職しました。

ところが、対人恐怖症に苦しみ、だめな奴だといわれ、二年も続かなかったのです。内向的で一人っ子、世の中でのぶつかり合いの経験がなかったからでしょうね。

二十歳の時、写真のDPEを営んでいた父が、酒を飲みすぎて急死、人間のはかなさを味わいました。自分も人生を終わりにしたいと思い、ふらっと鎌倉へ行って、どしゃ降りの冷たい雨の中に身を置いているうちに、はっと目が覚めたのです。他人に頼ってはいけない、自分の力で強い人間になるんだ、と。

本をたくさん読み、言葉で表現する喜びを知り、詩の道で生きようと思ったのです。それには、自分からすすんで人に会おう、自分の生きる道をさがすために、旅に出よう。そして、二十一歳の冬から、旅の人生が始まりました。

─お金がかかるでしょう。

路上、駅、どこででも自分の絵の展覧会を開き、わずかな収入を得ては、夜行列車や待合室で寝たり。

でも、本当に人との出会いを大切にしていると、助けてくれる人がいるのです。私が来るのを心待ちにしている人も増えました。

こうして三十年、全国くまなく旅を重ね、数えれば、九州へはざっと二百回、北海道へは百回、という具合になりました。海外もほとんどの国へ足を伸ばしましたが、やはり日本がいちばんですね。

節子夫人との間に五人の子ども。須永さんの家庭はにぎやかです。でも旅に出るときはいつも一人。

心をこめて 人にあう
優しさこめて 人にあう
愛をこめて 人にあう
出逢いを いつも大切に
自分をいつも 大切に

自費出版の詩集「ひとりぼっちの愛の詩」は二十七集、五十万部も売れました。今年五十歳。自分をすくうためが、いつの間にか、他人をすくうようになった須永さんの放浪の旅は、愛と優しさと出会いをテーマに、生きている限りいつまでも続けられるでしょう。

読売新聞編集委員・平田明隆
カメラ・水谷昭士