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No.45  柳瀨 觀(やなせ のぞむ)

虚から実の世界へ転進
宮城道雄記念作に自信、海外農場も

南千住六丁目にあるご自宅に伺って、まず居住空間の広さに驚きました。隅田川に面し近くには自然公園があるマンションの二階。屋内が約百三十平方㍍、テラスふうに広がったルーフ庭が百平方㍍。そこには、色とりどりの季節の花が咲き乱れています。

「ここでの生活は大変に気に入ってます。風と空気に季節が感じられるのが素惰らしいのですよ」

大井町の生まれだそうですが「小さい時は那須山麓の大田原市で育ち、都内や佐倉市の学校を経て、最終的には中大杉並高校から早大、大学院と進みました」

二、三歳のころから母や祖母の背中で、あるいは手を引かれて映画を見ることが多かったそうです。そのまま、映画少年、映画青年へと成長、監督の道に進むことになります。

「この世界に入ろうと思ったきっかけは、黒沢明監督の『姿三四郎』に感動したことです。当時の男の理想像を描いていたのですな。あの作品は。精神美の世界とでも言いましょうか。とにかく主人公のインパクトが強烈でした。これを見て、自分自身は何を撮りたいとか言うんじゃなくて、とにかく映画の世界に入りたくなったんですね」

日活で助監督から監督へ。デビュー作は「銭と女に弱い男」でした。ほかにも「虚の中の実を描きたい」という思いで多くの作品を手掛けましたが、合理化に反対して退社しました。そしてテレビでも「あいつと私」「挽歌」「ハレンチ学園」などを撮った後に、「虚の世界」に失望して「実の中の実」を見つめるドキュメンタリー畑に転向しました。
いま、筝曲家宮城道雄の生誕百年にちなむ「宮城会100年記念ドキュメンタリー」を撮り終えたところで「これは自信作です。何しろすべて『実』ですからな。十六分の作品を撮るのに三年かかりました。もちろんビデオではなく三十五㍉のフィルムです」と満足そうです。

その編集が完了したフィルムが置かれた明るくて広い部屋には、アンティックな家具がそろい、壁には何点かの日本画が飾ってあります。奥さんの作品で、雅号は柳瀬弘遊(こうゆう)。監督と同じ早大の文学部(文化放送美術専攻)を卒業後、この道に進み、現在は「俳画柳玄会」を主宰して、水墨画、パステル画家として活躍しています。淡い色合いで花を描いた作品は独特の趣があります。

柳瀬さん一家は、三十年間暮らした神田・神保町のすずらん通りから「魚屋さん、米屋さん、八百屋さん、豆腐屋さんが次々と姿を消し、ついにクリーニング屋さんも来なくなって、とうとう生活出来なくなりまして」という理由から荒川区に転居して二年少しになります。

「でもね、一年のうち六十日間ぐらいは、ここには居ないんですよ」

マレーシアのクアラルンプールで大きな農揚を共同経営しているため、年に六回、十日ぐらいずつ、あちらに出掛けるという生活が続いているそうです。また山梨県・山中湖畔には別荘も持っており、そちらに出掛けることもあるそうです。

いま六十歳。ドキュメンタリー映画と農場経営の二つの仕事を手掛ける意欲満々の生き方は、まさに理想的と言えそうです。

読売新聞記者・寺村 敏
カメラ・水谷 昭士