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No.30  三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく)

噺は座敷でじっくり

イキ好み、着物も200枚

町屋文化センターのイスでお話を伺いました。背筋をぴんと伸ばし、きりっとした顔つき、さすがに落語界きっての二枚目です。

背広姿もいいですね。

「着物に着替えましょうか。持ってきてますから」

(サービス精神が身についています。その場で着物姿に)

「日ごろから、よく着物を着ます。きれいでイキな暮らしを、と心がけまして」

-ずっと荒川区にお住まいで。

「ええ。荒川には昔から落語家が多く住んでいます。私は、前座時代が東日暮里、真打ちになって町屋に引っ越しました」

-どんな住まいでしたか。

「東日暮里の三軒長屋。これはもう落語の世界そのままでして。家賃が安かったばかりか、水道も共同、まわりの人たちが落語の登場人物そのまま。まあこれ以上落ちようがない、という暮らしを味わいました。円生も円楽も、いつもハングリー精神でなきゃ、と言ってましたから。最近の落語家は山の手の方にも住むようになりました」

-町屋のおうちは?

「一軒家です。着物が多くなって、たんすを入れるスペースが必要でして。咄家(はなしか)のなかで一番着物が多いんじゃないかと思っています。二百枚くらい。その日の噺(はなし)で着物を選びますので」

-お座敷が多いようですね。

「テレビだと十二、三分でしょう。まくらだけで終わってしまうから。噺も本来のものじゃあない。その点ラジオのほうがいい。人物、情景描写がちゃんとしてないと、聞いてる人にわからないでしょう。お座敷で噺をすることも多いのですが、近ごろは、いい気分でいるところへ、おかみさんあたりから『すいませんが領収書を』、なんて言われて、なんとも…」

-子供時代どうでしたか。

「父が、絵本のかわりに浪曲、講談、落語を聞かせてくれまして。高校まで川越でしたが、卒業してすぐに円楽の所に行きましたところ、どこかに勤めたほうがいいといわれ、一年間パイオニアで働いて、十九歳、昭和四十年に入門しました。大師匠の円生に稽古をつけてもらったのですが、『お見事です。直すところなんかありません。明日からどうぞ勝手におやりなさい』なんて言われる。これがこたえるのです。たいがいの人はそこでやめてしまいます。もういっぺん、もういっぺんとやっているうちに、ああここにムダがあったんだ、と分かってくる。『ムダがあると自分も疲れる。お客も疲れる』と言った師匠の言葉の意味が分かってくるんです」

円楽一門は、日本テレビの「笑点」などでもおなじみですが。

「いま、一門は二十四人いますが私は長男、つまり一番弟子です。落語には千ほど噺がありますが、現代に生きているのが約五百ほど。それでも、例えば『長屋の花見』で、卵焼きの代わりにたくあん、といっても、若い人にはぴんとこない。だって卵のほうがうんと安い時代でしょう。現代語を使わずに今の人に合うようにどう変えていくか、われわれの課題です」

本当の芸は六十過ぎて味わいが出る、という鳳楽師匠は、いま四十四歳。噺一筋の古典落語本格派で、真打ち昇進十二年を経た今も、五百の噺を目標に、真の咄家をめざし、「まだ半道です」と謙遜しながら精進を続ける毎日です。

文・平田明隆