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No.25  水野 貴子(みずの たかこ)

声楽の先生が偶然隣へ…
コンクールで五つ木の子守唄

四年に一度モスクワで行われるチャイコフスキー国際コンクールの声楽部門で、日本人としては初の五位入賞という輝かしい快挙を成しとげたのが、この水野さんです。

昨年の六月二十三日から七月七日まで続いたこのコンクールには、世界の二十七か国から八十八人が参加して、お互いにノドを競ったわけですが、「赤の広場」に近い大ホールの控え室で、真夜中の午前一時に入賞の発表を聞いた時は、びっくりして、しばらくは物も言えなかったそうです。

コンクールでは、最低三か国語、一曲は母国の民謡を…と規定されていて、水野さんは、一次に三曲、二次に六曲、本選で二曲、計十一曲を歌い、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、英語、それに日本語と六か国語を駆使しました。

日本語の民謡には、熊本県人吉市の出身なので、故郷の「五つ木の子守唄」を昔ながらの正調で歌い、千五百人余の観客をしんみりさせました。

モスクワは初めての水野さんは、ソ連は食料も物も不足と開き、生米一キロ、インスタント・ラーメン、トイレットペーパーのほか、小型の炊飯器や浄水器も持参し、「毎日がキャンプ生活みたいで、とても楽しかった」といいます。

きびしい国際審査に見事合格したのだから、当然、子供の頃から歌が上手で…と思ったところ、なんと「中学の時、合唱部へ入ろうとしたけど、みんなと合わない声だといわれ、いれてもらえなかった」というのです。

やむなく、当時ピアノを習っていた先生が声楽出の人だったので、遊びのつもりで、日本の名歌などを歌って、「満足していました」。

声楽専門の先生が、隣へ越してきて、その人が歌うのを耳にし、教えてもらいに行ったのが、人吉高校二年の時でした。

そこでやっと本格的に声楽家をめざし、芸大へ。卒業後は東京音大研究科を経て二期会の会員になりました。

二年前、ミラノ音楽学校に留学して、一年半の間、声楽とロシア語を勉強しました。それが支えになって、コンクールで歌った十一曲のうち、六曲はロシア語だったそうです。

日暮里に住むようになったのは、六、七年前で、結婚して出ていった友だちの部屋を引き継いだとか。

「回りが商店街で、ふだん着で買い物に行くと八百屋のおじさんが、あんた、何してるんだい?歌をうたってるの、こんど演奏会にいらっしゃいよ、休みの日なら行けるけどなァ、なんて会話があって、とても面白い所です」

やさしくて、美人で…昭和三十四年生まれ。独身。

「弟と妹が先に結婚しちゃって、もう子供がいるんです。私はヒマがなくて…でも、だれかいい人いませんか?」とニッコリ。

ことしの一月と四月に、演奏会を予定していますが、いずれ、荒川区のみなさんにも、彼女の美しいソプラノを披露してくれるそうです。

文・篠原大