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No.24  堂 克行(どう かつゆき)

100歳(都内)の肖像画を12年
温かい絵、荒川では最高齢者描く

お会いして、あいさつもそこそこに、数点の作品を見せてもらいました。昭和天皇、鈴木都知事、近親の方、それに難民の母子…。

どの絵も、どきっとするほど、生きています。写真にはない温かい血が通っています。身近な絵のわりに忘れかけていた肖像画のすばらしさにいきなり引き込まれました。

それもそのはず、堂さんはこれまでざっと五千点を描き、いまや全日本肖像美術協会の審査委員として日本を代表する肖像画家の一人なのです。

荒川生まれの荒川育ち。赤土小学校を出て、太平洋美術学校(日暮里)で絵を学びました。

肖像画に入ったきっかけは。

「昭和二十一年北支から復員して、生活のために始めたのです。進駐軍の将校や兵士から注文を受けて。何しろ七人兄弟の長男でしたから家族を養う重大な責任があったんです。昨日までの敵の顔だなどと考える余裕もなく懸命に描き続けました。まあ普通のサラリーマンの二倍くらいの金になりましたか」

美術家として注目されたのは遅かったのです。

「展覧会に出すようになったのは、家を建て、生活が安定した昭和四十年頃からです。上野の森美術館で開かれた全日肖展で美濃部都知事を描いた初出品が、いきなり準特選(第二位)に入選し、翌年は特選になりました」

東京都の依頼を受け毎年、百歳になった都内のお年寄り一人一人の肖像を描いて、九月の敬老の日にお祝いとして贈りつづけて十二年になります。今年は、六十人の百歳を描きました。

「お一人の肖像画に二、三日かかりますから、四月から九月まで掛かりっきりになります。6号ですから、額縁にいれて自宅に飾るのに手頃な大ささ。皆さんに喜ばれています。なかにはその年に亡くなられて、写真をお借りし、生前のお話を伺って描くこともあります」

都内百歳の肖像画とは別に、荒川区の最高齢者も区の依頼を受け毎年描いています。今年は九十七歳のお年寄りでした。

「荒川は私のふるさとですから。それに区の職員の方も熱心で」

お年寄りの肖像を描く時のご苦労を。

「まず、ご本人に似ていることが絶対の条件ですが、そのポイントは目と鼻と口です。それに、描かれる方のお気持ちを汲みながら進めます。気になさっているほくろなら薄く、ご婦人のしわは目立たせないように。じっとお顔を拝見していると、百年の歴史が伝わって来るようで、こちらも自然と心が入ってきます。あるお年寄りに絵を差し上げたところ、描かれたご自分の顔を黙って眺め、不機嫌そうにムスっとしているのです。お気に召さなかったのかな、叱られるのかな、と思っていたら、そのお年寄りの目から涙があふれてきたのです。様々な思いがこみ上げてきたのでしょう。よかったな、どうぞおしあわせに、と心のなかでお祈りしました」

堂さんのもとには、警察、学校、福祉関係など各方面からの感謝状が集まっています。今年六十七歳。ご自身の百歳までの道のりの三分の二。百歳の堂さんに肖像画をプレゼントする後継者がぜひ出て欲しいものです。

文・平田明隆