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No.18  石井 弘(いしい ひろし)

国際コンクールの賞金で留学
軽妙な話ぶり、7月初の地元公演

自分自身をユーモラスに冷やかしながらの軽妙なおしゃべりには、つい笑ってしまいます。

「生まれたのは、浅草の病院。育ちも今も南千住八丁目。俗に汐入という所で、隅田川の堤防ができる前は、台風のたびに、家の中へ水が流れこんできました」

家を支える四本の柱には、切り込みが刻んであって、台風がくると、縁の下にあった梁(はり)を取り出して、切り込みに刺し、その上に畳をあげて、一種の桟敷をつくり、家財道具をそこへ避難させたそうです。

「親は大変だったでしょうが、子供の私は、桟敷で遊ぶのが楽しくて、台風、早くこないかなァー…なんて」

第五瑞光小の五年生の頃から独学でギターをやっていたといいます。

「ほんとは、エレキギターが欲しかったんですが、アンプがないと音がでない。アンプは高くて買えなかったので、つるしのギターにしたんです。動機は至って、"不健全"でして…」

同じ小学生時代、「歌がうまくうたえたらしく、先生におだてられて、テレビのちびっ子のど自慢にでてみましたが、あわれ予選落ち」―照れながらの打ち明け話に、こちらも笑い声をあげてしまいます。

区立第三中学に進むと、ギターの通信教育を学び、都立足立高校ではギター・クラブに所属して、「コーチがプロを目指していた人だった」ので、いよいよ本格的にのめりこみます。

この人のギターは、古賀メロディーを爪弾くような演歌ギターではなく、クラシックギターです。

しかし、芸大にも音大にもギター科はありません。

で、進学をあきらめて、日本のクラシックギターの草分け小原安正さんの所へ通って、個人レッスンを受けます。そして、八年後の二十八歳の時、世界各国から百数十人も参加する東京国際ギター・コンクール(第27回)で、見事第一位に輝きました。

賞品のギターを手に賞金を渡航費に当てて、スペインヘ七か月留学、マドリードでホセ・ロドリーゴ氏に師事しました。

セゴビア亡きあと、世界一の巨匠とされ、映画「禁じられた遊び」のギター演奏で有名なナルシソ・イエペス氏からも、帰国後、日本でレッスンを受けています。

現在は、日本ギター連盟の理事として、国際ギター・コンクールの裏方を務めたり、地方で演奏活動をしたり、自宅でギター教室を開いたり…と、多忙な身です。

この七月十三日、日暮里のサニーホールで、この人のリサイタルが行われますが、「念願だった地元での初公演、頑張ります」といってから「日本ではギターの生演奏を聞く機会が少ないので、できるだけ増やし、ギター人口を開拓したい」と熱っぽく抱負を話しました。

ことし三十三歳、結婚は?と聞くと、また自嘲気味にこう答えました。「まだです。しがないギター弾きですから…」

文・篠原大