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No.6  小泉 定弘(こいずみ さだひろ)

荒川にこだわる視点
自宅周辺から都電や荒川村へ

先祖代々、それも江戸時代からず-ツと荒川に住んでいる、といいますから、これはもう荒川の"原住民"といってもいいし、とにかく生粋の荒川っ子です。

それだけに、荒川についての芳しくない評判を耳にすると、えらく腹が立ち、何くそ、荒川だってこんなにすばらしいんだと、お手のもののカメラで見返す仕事を始めたのが、十数年前です。

「最初は身近なところから出発しようと思いましてね、生まれた家の住所『東尾久八丁目十四の三』をテーマにしたんです」

家の回りの、何の変哲もない草や木や石や雲、空を写して、「荒川の写真なのに銀座のナガセ・フォトサロンで展示し、みんなを驚かせました」。

波紋がだんだん広がるように、小泉さんのカメラアイも自宅周辺から東西合わせた尾久、次は荒川区全域へとワイドになっていきます。

それも「徹底的に荒川にこだわってやろう」という意地を貫いて、四回目は都電荒川線。今も残っている都内唯一のチンチン電車。荒川区をはじめ四区を経由する全長十二キロの沿道風物をフィルムに収め、四区の区役所で展示しました。

これにちなんでACC(荒川区地域振興公社)が昨年十一月、小泉さんを審査委員長に都電荒川線の写真コンテストを行ったところ関東一円から八百点が集まり関係者を感激させました。

こんどは隅田川です。全長二十三キロのうち、八キロが荒川区に渡しています。これも沿岸区の銀行に頼んで写真を展示してもらいました。

お次は明治通り。港区南麻布の古川橋を起点にラストは夢の島で終わる三十三キロの環状線です。昭和七年に完成した時、新聞社が名称を募集、一位が明治通りだったとかで、その名前が次第に定着したんだそうです。

「被写体が十キロずつのびて、努力の跡を示しているでしょう」と小泉さんはニコニコ。

環状線のついでに山手線をと考えましたが、すでに他人が手をつけていたので、京浜線の四十五の駅から「ホームウォッチング」としゃれてみました。駅のホームから見た風物詩です。その写真は大宮、赤羽はもちろん全駅で展示される予定です。

「もう終わりかと思ったらまだあった、荒川区と姉妹提携している荒川村ですよ」―

甲武信岳に発して末は東京湾に注ぐ全長百六十人キロの荒川の上流に埼玉県荒川村があります。この村の四季折々の風景を写したカラー写真展が、荒川沿岸の東京七区、埼玉二十七市町村を目下巡回中で、各地からひっぱりだこの好評です(荒川区の展示は明年一月十五日前後の予定)。

六月十五日から十九日までは「神田川」の写真展(ACC主催、町屋文化センターふれあい広場で)と多忙な小泉さん、ことし四十八歳ですが、まだまだ荒川にこだわった写真をとり続けると張り切っています。

文・篠原大