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No.214  石塚 昭一郎(いしづか しょういちろう)

技を磨いて鉄を鍛え、町を慈しんで人を見守る

刀鍛冶の流れを汲んだ 110年の伝統、総火造り


大海原をすいすいと進む船のように、鋏が布地を裁っていきます。布を挟んだら、鋏を前に出すだけで滑らかで、小気味良い切れ味。日本中のテーラーが憧れ、海外からも高く評価されるラシャ切鋏の最高峰、長太郎(ちょうたろう)の総火(そうひ)造りを生み出す鋏鍛冶(はさみかじ)三代目が石塚昭一郎さんです。
ラシャとは毛織物のことで、ラシャ切鋏は洋服の仕立てに使う裁鋏(たちばさみ)。明治維新の後に、刀鍛冶の技術を生かし、軟らかい鉄に刃の部分に鋼(はがね)をつけて日本独自のラシャ切鋏を創製した吉田弥十郎(銘:弥吉)。その直弟子である石塚長太郎さんの孫にあたります。
都電荒川線の三ノ輪橋駅にほど近く、車が行き交う通りから細い小路を入ると、表の喧噪が嘘のよう。ここに生まれ育ち、現在も自宅に併設した工房、石塚さん曰く工場(こうば)で腕をふるっています。
「昭和35年、中学校卒業と同時に親父の弟子として工場に入りました。鉄を火床(ほど)で熱し、型などを一切使わずに金槌で何度も打ち出します。鉄は熱してから10?30秒が命、温度は眼で見て判断し、一瞬で金槌をふるう。最後に調子を見る、刃の擦り合わせが一番の腕の見せどころです。工程も多く、技の会得には少なくとも10年以上かかるから、修行はできるだけ早く始めたほうが良い。中学を出ての弟子入りはもう終電のギリギリセーフ。結局私は親父の最後の弟子となりました」
伝統工芸として認定された総火造りは、鉄を抜いたり曲げたり、すべて手作りのオーダーメイド。最も大きな九寸五分(長さ28.5㎝)はプロ向けで、当然高価になります。それだけでなく、握りの部分はあらかじめ精密鋳造しておき、刃のみを接合して作る「長太郎裁鋏」というスタンダードな製品も作っています。これらは、あらかわショッピングモールや日本職人名工会などのネットショップでも手に入れることができます。
「祖父の技を受け継ぎ、二代目の父は焼き入れなどの作業を機械化できるようにしてくれた。おかげで私一人でも効率良く仕事ができる。洋服を仕立てる人も減り、鋏の需要が先細りになる現在、長太郎は私の代でお仕舞いになりそうですが、創業が1901年ですから、今年で110年。おかげさまでここまでやって来れたし、これからもできる限り造っていきます」

高齢者や子供たちへ 向ける温かいまなざし


鋏鍛冶としての石塚さんは、荒川区の無形文化財保持者や東京都の伝統工芸士に認定され、全国でも数少ない総火造りの技を持つ職人としてメディアにも度々登場しています。その傍ら、荒川区の社会福祉と教育に長年貢献されているもう一つの顔があります。
「私の母親が民生委員・児童委員を7期21年勤め、その後にお声がかかりました。昨年11月末まで、24年間勤めました。荒川は下町の良さがあって高齢者にも温かい町なのです。生活保護を受けている方や高齢者の一人暮らしの方などを見回って声をかけたり、時には具合が悪いからと呼び出しがあって駆けつけたりもしました」
最後の6年間は荒川区民生委員・児童委員協議会の会長となり、地区をまたがる荒川区社会福祉協議会副会長、東京都社会福祉協議会評議員なども兼務して、さぞや忙しかったに違いないのですが、「本業の鋏鍛冶が少し暇になっていたから(活動が)できた」と、石塚さんは笑顔で言ってのけるのでした。
小学校4年生の副読本に地元の職人として紹介されていることもあり、親子二代の母校である区立第二瑞光小学校に、学校職人教室の講師として、何度も講演に行っています。石塚さんのお話を聞き、子供たちも荒川の誇る伝統技術を知り、身近に住む職人に親しみを持ってくれるそうです。講演の感想文で、忘れられない一節を伺いました。
「私は荒川に住んで良かったです。自分の住む町がこんな伝統技術を伝えていることを誇りに思いますー ずいぶん前になりますが、そんな風に書いた子がいました。子供たちが地元の歴史を大事に思ってくれる、なにより嬉しいことです」
社会教育委員、文化財保護審議会委員も務める石塚さんは荒川の職人たちが集まり、荒川総合スポーツセンターで開催する「あらかわの伝統技術展」にも初回から参加し、何年にも渡り盛り立てている。お話をされるときのにこやかな顔が、鋏を持った瞬間にキリッとした職人の顔に変わります。柔と剛、どちらの表情からも町と人を慈しむ温かな人柄が伝わってきました。