トップ   >  荒川の人  >  No.204

No.204  小沢 あや女(おざわあやめ)

荒川区心身障害児・者福祉連合会 会長

愛と熱意で切り拓いた 荒川区障がい児福祉の道

わが子のためだけでなく、障がいを持つすべての子どものために

81歳。まずそのことに驚かされる。そしてお話してみれば、その話し振りのエネルギッシュなのに、また驚く。 小沢さんは、荒川区の障がい者福祉の道を切り拓いてきたパイオニアの一人。「〝命がけ〟のつもりでやってきた」と小沢さんは言う。その努力と苦労は、生半可なものではない。彼女の若さと活力は、おそらくそうした生き様の中から出てくるものなのだろう。 「障がい児を持つ親にとって、自分の子どもが学校に行けず、『在宅』(学校などの社会参加の道を閉ざして家庭内にいること。)になってしまうことほど辛いことはありません。うちの息子は、当時公立の小学校に入れませんでした。生まれて6年もたつ子を『在宅』にするなんて、私は許せなかった。」 そこで、区役所に懸命に働きかける一方で、親たちが手をとりあって何かできないかと考え、就学免除となった障がいのある子どもをもつ親たちが集まり、昭和46年、「荒川のぞみの会」を設立した。 「もしわが子のためだけに努力し役所にも働きかけるのであれば、その同じ汗をかいて、荒川区の同じ障がいを持つ子どもたちのために運動したほうがいい。自分の子どものことばかり考えていても荒川区はよくならない。全体のためになる制度や施設ができるなら、その利用者の一人として、わが子も恩恵をこうむることができる。私はそう思ったのです。」初代会長である小沢さんは、「もう荒川区で障がい児をもつお母さんが、一人で家に閉じこもり泣いたり、悩んだりしていることのないようにしたかった。」と設立当時を振り返る。 荒川のぞみの会は、まず、区内の子どもたちの訓練の場をつくろうと、お母さんたちの手で児童館を借り、週2日の保育をスタートした。のちに、この活動が実り、昭和48年、荒川区に23区で初めて、区立心身障害者福祉センターが創設され、通所訓練の場ができた。 さらに、障がいゆえに義務教育を猶予または免除されてしまうのではなく、障がいが重くても等しく教育を受けられるようにという親たちの願いが実を結んで、東京都では全国にさきがけて昭和49年から全員就学制度が実現した。 しかし、放課後の遊び場としての学童クラブへの受け入れはされなかったため、昭和51年に荒川のぞみの会のお母さんたちは、自分たちの手で学童クラブ事業を始めたのである。行政もこの活動を支援し、毎週水曜日、土曜日の午後1時30分から4時30分までの3時間だけであるが、指導員と一緒にお母さんたちが順番に当番をし、子どもたちと遊ぶプログラムを実施した。 このプログラムを牽引した指導員の一人に、現荒川区社会福祉協議会荒川ボランティアセンター所長の鈴木訪子さんは「室内でじっとしている子どもたちではなく、毎回公園など戸外に出かけては、追いかけっこの状態が続いてました。公園の入口に当番のお母さんが見張る中、遊ぶのですが、必ず脱走する子どもたちがおり、いつも、3時間無事終了できることが奇跡のような状態でした。」と当時を語る。 一方、障がい児の就業の場をどのように確保していくかも、心配の種であった。 福祉作業所も定員に空きがなく、心障センターもいっぱい。養護学校高等部を卒業しても、行き場がない。また『在宅』になってしまう。せっかく受けた教育が無駄になってしまう。 自分たちでなんとかしなければと荒川のぞみの会は、養護学校高等部の卒業後の受け皿となる施設「希望の家」を立ち上げた。小沢さんは「行政をはじめ、地域の多大な応援の中、子どもたちがいきいきと通い、親たちが手伝い、薄給にもめげず指導員さんが一生懸命働く活気あるよい作業所ができました。」と当時を思い起こす。「希望の家」は現在区立施設となっている。

地元や区の応援を受けながら、一直線にまさに雑草のように運動を続けたい

かつては、障がい児を抱える家庭で、来客があると子どもを押し入れに隠してしまう親もいたという。小沢さんは、周囲の人たちに、息子さんの障がいを隠さなかった。 「皆さん嫌な顔などしませんでしたね。息子は多動ですからどこかへすっ飛んでいってしまうことがよくあるんです。すると、近所のご主人が、自転車で私とすれ違いざまに『いた』なんて教えてくれる。ごく当たり前に、まるで仲間同士の合い言葉みたいに(笑)。そうそう、思い出すのは、運動を始めたばかりの頃、区役所の建物が工事中だったんですね。コンクリートの隙間から、雑草がたくましく生えているんですよ。それを見て、こんなふうに生きていこうと強く思ったものです。この運動をしていて、確かに〝産みの苦しみ〟はあります。でも、一つひとついろいろなことが実現していく、それはほんとうに嬉しいことです」小沢さんの息子さんは中学高校と無事卒業し、現在区内の作業所に通っている。 「荒川区の場合、高校卒業後に在宅なしということが制度化されているのは素晴らしい」と語る小沢さんは、現在〝荒川区心身障害児・者福祉連合会〟の会長を務めている。この会は区内の7つの障がい者団体が手を携え、昭和55年に結成されたもの。小沢さんは今日もさまざまなことに思いをめぐらせながら、障がい者の生活支援の向上に向けて汗をかいている。