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No.202  矢代 義光(やしろよしみつ)

帝拳ジム所属 日本スーパーフェザー級 チャンピオン

世界チャンピオンのベルトを
大好きな荒川区に届けたい!

練習へのこだわりと、アマチュアでの経験が力に

23戦21勝(12KO)2分け。無敗の日本スーパーフェザー級チャンピオン。一番の武器は、破壊力のある左ストレート。今年1月に2度目の防衛戦を制したボクサーが、今回の主役、矢代義光さんだ。

矢代さんは、ボクシングジムに通う4つ上の兄・家康さんに憧れて、中学から本格的にボクシングを始めた。放課後は一目散にジムに行き、練習に励んだ。高校は、兄も通ったボクシングの名門・花咲徳栄高校へ。毎朝4時に起きて自主トレをして、ボクシング部の朝練に向かう日々を続けた。「部員は約100人もいたから、誰よりも強くなりたくて、必死に練習しました。」矢代さんは、現在も「試合で自信を持って全力を出し切るには、毎日の積み重ねが一番大事」と、多くの練習をこなしている。日々の練習に強くこだわる気持ちは、学生時代から続いているのだ。

そして高校総体準優勝、国体3位など活躍。その後、高校時代の監督が平成国際大学でボクシング部を新設し、一期生として迎えられた。ここでも全日本選手権3位、国体3位などの活躍を見せ、大学2年でプロになった。「監督から『身体が出来上がってから、プロになった方が良い』と言われていて。早くプロになりたい気持ちは、正直ありました。でも、アマチュア時代に多くの試合を経験できたからこそ、今の自分があるんだと思います。」

兄の引退、手首の骨折を乗り越えて!

こうして念願のプロになったが、実はここまでに大きな出来事があった。19歳のときに、日本ミニマム級5位のプロボクサーだった兄が、試合後に意識不明の重体となり、一命は取り止めたもののボクサー生命を絶たれてしまったのだ。両親は矢代さんのこれからを心配し、また自身も同じ思いで、ボクシングをやめた。でも見舞いに行く度に、兄は意識がはっきりしていないのに「練習はどうした」と聞く。やめたことを話すと、「やめないでくれ」と涙を流して願ったという。兄は、床に臥せていても強かった。もちろんなまやさしいことではなかったが、兄の思いに後押しされながら再び立ち上がった。
プロになってからは12戦負けなしで、2004年に日本フェザー級8位にランクイン。ところが、その後の練習中に左手首を粉砕骨折してしまう。けがの痛み。練習すらできない辛さ。後輩が日本チャンピオンになっていくことへの焦り。数々の試練に見舞われ、落ち込んだ。だが、担当医やジムのトレーナーをはじめ、周囲の人々が勇気づけてくれた。「けがが原因で引退するボクサーは大勢いるけど、お前ならやれる!」との言葉もあった。矢代さんは、温かな励ましに心から感謝した。「プロになったばかりの頃は『とにかく強ければいい』という気持ちでした。でもけがをして、たくさんの人に助けられたことで、自分を支えて応援してくれる人のために強くありたい、試合に勝ちたい、という気持ちに変わりました。」そして、このけがのおかげで右を鍛えられ、新しいボクシングができるようになったという。「神様が『右を鍛えろ』という試練を与えたんだと思います。みなさんに力をもらって、乗り越えられました。」この試練が、矢代さんのボクシングをさらに強くした。
1年4ヶ月の逆境を乗り越え復帰戦を制し、2008年5月に日本王座を獲得。「相手がどんどん強くなるので、険しい道のりでした。日本チャンピオンになったときは嬉しく、みなさんに少しは恩返しできたかな、と思いました。」その後、見事に2度の防衛戦に成功している。

生まれも育ちも荒川区で、毎朝、走り込みをしていると「頑張れよ!」「試合、応援に行くよ!」などと声を掛けられるという。そんな人情味豊かな荒川区が大好きだとか。「地元の応援は、すごく力になります。今後も期待以上の試合を見せて、荒川区に世界チャンピオンのベルトを届けたいですね。」と、力強く語る矢代さん。栄光をつかむその時まで、彼は戦い続けるだろう。