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No.196  星 和彦(ほし かずひこ)

日本画家

長く険しい日本画家の道のりを
ひたすら邁進し続ける

日本画の画材に初めて触れたときの喜びは、今でも忘れられない

美術にはさまざまな種類があり、どれも一流の領域に辿り着くには険しい道のりだが、中でも「日本画」は、特に厳しい世界と言える。「岩絵の具」という自然の岩などの鉱物を粉末状にした独特の顔料と、それをキャンバスに定着させる膠(にかわ)など、描くための材料からして独特。当然、それらの扱いは難しく、自在に扱い、自分の思うように絵を描けるようになるまで軽く10年はかかるという。そんな日本画に懸命に取り組み、邁進している画家が荒川区にいる。星 和彦さんだ。

「小さい頃から、答案用紙の裏に動物の絵を描いたり、いろいろな漫画を写したりと、絵を描くことは大好きでしたね。日本画の道に進んだのは、祖父の影響が大きかったと思います」星さんの祖父は、日本画家を夢見ていたが大事な家業を継いだ。そんな思いもあってか、自宅の襖をキャンバスに、山々や龍などの水墨画をよく描いていたという。そして星さんも、一緒になって龍を鉛筆で模写したりしていたそうだ。物心つく前から、日本画に触れていたこと。その経験が、大学進学を考えていた高校3年生当時の星さんの背中を、いつの間にか押していた。

「大学から美術の道を目指そうと思ったのですが、不思議と日本画以外は考えなかったですね。でも・・・合格するまでは本当に大変だったなぁ(笑)」

冒頭でも記したように、日本画は画材から特殊であり、画材の扱いも含めた技術の地道な積み重ねが何より大事な世界。たとえば星さんが進んだ東京芸大絵画科日本画専攻は「平均3浪」と言われるほどハードルが高く、現役合格する人はほぼ皆無。星さんも3年間、美術系予備校でみっちりと日本画の基本と技術を学び難関を突破した。その後はさらに難関の大学院に進み、掛け軸や仏画の模写を中心にした日本画を描く技術を勉強しつつ、やはりここでも岩絵の具を扱うための工芸的な技術習得の努力を重ねていった。

「特に大学院はとてもハードでしたが、大学生活は本当に楽しかったですね。日本画の画材に初めて存分に触れることができたときの喜びは、今でも忘れられません。岩絵の具は石の粒子が剥き出しになって、とても自然な色を見せてくれます。世界で一番綺麗な絵の具だと思いますね。そんな素晴らしい画材で絵を描ける・・・。 40半ばを過ぎた現在もまったく変わっていませんが、それが私の感じる日本画の大きな魅力です」

「まだまだ、これからです!」 先を見据えて、力強く語る

現在、星さんはさまざまな作品を手掛け、日本画家が指標にする「院展」(毎年、春・秋に開催)に幾度も入選するなど、日本画家として活躍中。その一方、大学院卒業後から新宿美術学院で約17年間講師を勤め、生徒の指導にも力を注いでいる。

星さんの代表作の一つである「春の湖」。柔らかな風、暖かな大気の流れといった“春の空気”が心地よく伝わってくる。

2006年に描かれたこの作品は、「現代日本の絵画vol.3」へ収載されている。

「生徒たちからは、とても良い刺激をもらっています。私が日本画を始めたときのように、“初心”に満ち溢れていますからね。だから今後は、そんな生徒たちの良いお手本にもなれるように、もっともっと作品を描いていきたいですね。院展に出す以外の作品も描きたいし、個展も目標の一つです。日本画でやり遂げたいことは、とてもたくさんあります。日本画は60歳を過ぎてから、良い絵が完成されていくと言われています。自分はまだ46歳。これからです!」

今までも十分に長い道のりだったにもかかわらず、もっと先を見据えて、力強く、そして楽しそうに笑顔で語ってくれた星さん。昔から掲げる“見たものを自然に描く”という自身のテーマが、これまでの経験とこれからのさらなる邁進によってどのように昇華し、日本画として描かれていくのかが楽しみでならない。