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No.191  藤川 澄十郎(ふじかわ すみじゅうろう)

楚な中にも芯の強さを持つ
今年成人式を迎えた伝統文化の継承者

創流40周年という藤川流は、古典の流儀を大切に、基本に重きを置きながら新舞踊にも力を入れる舞踏。その伝統ある藤川流の家元・藤川澄十郎さんは、生まれも育ちも荒川区。今年成人式を迎えたばかりという若い伝統芸能継承者。「南千住コツ通り商店街に住んでいました。みなさんとっても温かく、下町人情が根付いている所だなと思います。通っていた学校の近所にある駄菓子屋さんや、緑が美しい天王公園など、小さい頃から慣れ親しんだ場所がたくさんありますね」。幼い頃からの思いが溢れる。

幼い頃から身についた舞踊家としての心

物心ついたころから着物が普段着、「音楽が聞こえると勝手に踊っていたようです。櫓のお七という古典舞踊に火の見櫓の太鼓を叩く場面がありますが、マネをして柱を叩いてボコボコにしちゃったり」というやんちゃな女の子だった。日本舞踊には多くの流派があるが、家元になり藤川澄十郎を襲名したのが16歳だったというから驚き。「周りの方たちも驚いていたんですが、宗家(父・爵応氏)としても早いうちに継いで、もまれるのも修業だろうと」。
では澄十郎さん自身、舞踊の世界で生きる決意はいつ頃から芽生えていたのだろうか?「小さい頃はただ楽しくて、お客さんも舞台に小さい子が出てくるとそれだけで拍手をしてくれましたが、子どもらしさより、踊りの技術や表現に期待をされるようになってきたと感じたときでしょうか。自分の立場に責任を感じ、真面目に取り組んでいかなければと思いました。それが小学校一年の頃だったかもしれません」。それからは踊りに向き合い、勉強の日々。しかし、好きだからこそ、その責任が辛いと感じた時もあった。「幼い頃から表現することが好きで好きでたまらなくて、お芝居や歌などでも人に感動や生きる力を“届けられたら“と思っていました。しかし家元となり、その責任に雁字搦めになって『踊り以外に他にやりたいことを作ってはダメだ』と自分を抑えた時期もありました。でも、やはり自分の表現の幅を広げたくて演劇の学校に通ったりしました。今となってはどちらもフィールドは一緒、日本の舞踊や着物の所作事を生かせる舞台や映像など、可能性が試せる場所であれば何でもチャレンジしたいです」と語る。何事にも真面目に、しっかりと責任ある受け答えをしてくれる家元。昨年3月からおよそ1年間、荒川区基本構想審議会の委員をつとめるなど、これからの荒川区を支える一翼を担う。

日々の精進と二十歳の素顔

澄十郎さんもやはり二十歳の女性、清楚なワンピースに身を包み、町で見かけても舞踊の家元と思う人はいないだろう。半身浴を日課にし、歌もセリフも全部覚えているくらいディズニーのストーリーが大好き。休みがあればディズニーランドに行きたい、とにこやかに話してくれる。
そんな女の子の顔も、8月19日の国立劇場での藤川流公演会を控え、当分は封印して練習の日々。「苦しくなってからが初めて稽古、そこでやめたら何の身にもならない、と父によく言われているので、苦しくなるともっとやる気が出てきます」と芸にかけては努力を惜しまない。がんばり過ぎの澄十郎さんのリラックス方法は?「何かに感動することです。本や音楽、舞台鑑賞、少し極端かもしれませんが、何気ない空の美しさに心動かされたりすることでリラックスしますね。特に読書は好きで、ジャンルに拘らず小説や画集、芸術書からビジネスに関する本など何でも読みます。作者の人生観に触れて感銘を受けたり感動することで自分の感受性が豊かになっていく感覚が楽しいんです」。
今後は、「自分の行動に責任を持ち、今年成人を迎えたことで気持ちを新たに、いちから積み重ねていきたいなと思っています」と初々しい言葉。爽やかで凛とした澄十郎さん、その名の通り、透き通った心の持ち主は、地元を愛する素敵な女性でした。