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No.188  松田 全代(まつだ まさよ)

東京都文化功労賞を受賞
長唄を通して邦楽の魅力を伝える

終始笑顔で、ユーモアを交えながら話す松田さん。おだやかな人柄が伝わってくる。

「それではひとつ唄いましょうか」そう言って松田さんは、江戸時代に紀伊国屋文左衛門がみかんを売って大もうけした実話に基づいた長唄、「紀分大尽」を披露してくれた。
朗々としたハリのある声と、三味線独特の音色に、思わず魅せられた。
長唄とは、お雛様の五人囃し(ばやし)が原型で、江戸時代に歌舞伎の伴奏として始まった。曲数は300とも800ともいわれ、邦楽を代表する芸術だ。

日本舞踊から長唄へ

長唄を習うには「和服を着るのですか」「正座していられるかしら」と心配する人も多いが、「だんだん慣れてくるから大丈夫よ」と松田さん。
松田さんは西日暮里生まれ。4歳から近所のお師匠さんに、日本舞踊を習いに行った。
「父親が病気がちでね。母が『病気が治ったらお稽古に連れて行くわね』って言っているうちに、父が亡くなって。私は幼稚園に行く代わりに、お稽古に連れて行ってもらったの」
小学校に上がってからも、毎日お稽古に通った。3年生のとき、福島県へ学童疎開したものの、一年後、終戦で帰京してからは、また毎日お稽古に通い、中学2年生で花柳流の名取になった。
「でも、日本舞踊はお金がかかるでしょ。母一人、子一人だったから、なかなか舞台には出られなかったのよ」と松田さん。そこで、お師匠さんに勧められ、長唄の手ほどきを受け始めた。
高校3年生の夏、学校の先生から「芸大は国立だから、学費も安いし、受けてみたら」と言われ、「じゃあ、やってみようかしら」と、受験を決め、今まで以上に稽古に励んだ。
「受験のために杵屋佐升先生について習いました。でも私、足がしびれて立てなくて、転がっちゃうのよ。先生が『全代ちゃん、次に来るときは枕を持っておいで』なんて、からかわれたものよ」と笑う松田さん。昭和29年春、東京藝術大学邦楽科長唄専攻に見事合格した。
「入学してからが大変。それまではお師匠さんの唄を聞いて、真似するのがお稽古だったから、音符の勉強から始めました。でも、人間国宝の山田抄太郎先生や宮城道夫先生、西垣勇蔵先生が個人レッスンしてくださるの。今から思うとずいぶん贅沢な学生時代。ありがたいから一生懸命に練習しましたよ」

荒川区邦楽連盟設立に尽力

卒業後は、設立間もない東音会(東京藝術大学卒業生の会)に所属して、プロとしての活動を開始した。「今でも年に2、3回は舞台に立ちます。舞台では背筋がぴんと伸びる感じ、やっぱり緊張しますよ。精神的に強くなれるし。それまででできなかったのに、舞台でできたなんてことは何回もあるから、あれは不思議な力よね。」底抜けに明るい松田さんの楽しみは、お稽古に来る小さな子ども達の成長に接すること。次世代に長唄を通して邦楽を伝えようと、荒川区邦楽連盟の発起人になり、理事長に就任。毎年女子東音会のあらかわ長唄演奏会をサニーホールで開催し、区内の学校に案内と出している。
「邦楽連盟で、学校を巡回して『春の海』、『越後獅子』などの邦楽を聞いてもらったの。じわじわとでも、若い世代に邦楽のよさが浸透していくといいなと思っています」と今後の抱負を語る。昨年10月には、東京都の文化功労賞を受賞した。「嫌なことは考えないの。にこにこ笑いながら寝ているの。のどのためにはうがいと十分な睡眠が一番いいのよ」と松田さん。ひとつのことをやり続けるには、芯の強さはもちろんだが、おおらかさ大切なのだと思わせる、優しい笑顔で答えてくれた。