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No.186  井嶋 佳二郎(いじま けいじろう)

原動力は子どもの笑顔

音楽を中心に文化活動に尽力


子どもたちを前にすると笑顔が絶えない井嶋さん。
この人なくしては、荒川区の青少年活動の発展はなかったと多くの人が信頼を寄せる。
現在も男声合唱団「金曜会」で合唱を楽しんでいる。

「私は荒川大好き人間なんです。人情味があふれて、実にいいところです」
笑顔で荒川区への思いを語るのは、井嶋金銀工業株式会社代表取締役会長の井嶋佳二郎氏だ。会社経営で多忙にもかかわらず、音楽を中心に、青少年育成や荒川区の文化活動に尽力してきた。その原動力とは―――。
時は昭和30年初め。夜遅くまで、街頭テレビに群がって力道山に見入る子どもたち。町の大人たちはそんな子どもたちを心配して、「街頭テレビをやめようか」。そんな話も出ていた。
「子どもたちのために何かできないか・・・。お風呂屋さんが日曜日の午前中に脱衣所を貸してくれることになり、『それなら歌がいいね』ということになって、日暮里四丁目町会青少年部のわらべコーラスがスタートしました」と井嶋さんは振り返る。
その後「ふなっこ」、「どじょっこ」など、コーラスグループが次々と誕生。活動をする子ども会は増えていった。

荒川少年少女合唱隊の結成


昭和31年に結成した「わらべコーラス」で熱心に練習する子どもたち

「10年ほど続けて、荒川音楽連盟を作りました。そんな折、荒川区民音楽祭で九中グリーンクラブの合唱を聞く機会に恵まれました。さわやかな歌声に感動し、指揮者の渡辺顕麿先生に『荒川に少年合唱団をつくりたい』と相談したのです。最初は『大変ですよ』と断られましたが、何度も通ってお願いして、指導を引き受けていただきました」と井嶋さん。こうして誕生したのが、現在も活動する東京荒川少年少女合唱隊だ。
「はっきりした目標を持とう」という渡辺先生の方針で、活動を始めて半年後には東京文化会館の小ホールで初コンサートを開催。合唱隊の隊長と務めていた井嶋さんは「感動した」と当時を振り返る。
また、「荒川第九を歌う会」の設立にも力を注いだ。「市民で組織する日本で最も古い歴史を誇る『第九を歌う会』」と音楽関係者も語るように、今では身近な合唱団として区民に定着、親しまれている。
ひぐらしの里三大ロマン「智恵子抄」、「太田道潅」、「谷中の五重塔」を題材にしたオペラの上演を実現させたのも井嶋さんの尽力が大きい。「今年は高村光太郎没後50年、智恵子生誕120年を記念して智恵子抄をまた上演します」と井嶋さん。

荒川区からカンボジアへ

開催19回を数える「歌うサニーホール」も井嶋さんは発起人のひとり。13回目には、100曲マラソンを実現した。北海道や九州からの参加者もいるほど大盛況だった。そして、「歌うサニーホール」で集まった募金は子どもたちのために役立てたいと、「仲間たちとも話し合って、カンボジアに小学校をつくろうということになりました」
今年3月、カンボジアのプルサット県にスナー・アンサー小学校が開校。「日本名では、『東京荒川希望小学校』といいます。子どもたちの笑顔が原動力であり、一番の喜びです。多くの共鳴してくれる仲間たちと一緒だからできることなのです」と井嶋さんは目を細める。
日暮里駅前開発研究会の初代会長を務めるなど、地元の発展にも力を注いできた。荒川区の子どもたちから、東南アジアの子どもたちへ。井嶋さんの、子どもたちの健やかな成長を願い、見守るやさしいまなざしは変わらない。


完成したスナー・アンサー小学校。完成記念式典には、カンボジアの副首相やプルサット県知事、高橋文明在カンボジア大使、東京荒川ロータリークラブ佐藤悦康幹事ら関係者が出席。近辺からも約3000人が集まった。脚本家で「JHP・学校をつくる会」代表の小山内美江子さんも日本から駆けつけた。