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No.185  吉澤 智恵(よしざわ ちえ)

夢のⅤリーグで大活躍

コートで見せる笑顔にファンも多い



いつも夢や勇気を与えるスピード感あるプレーを見せてくれる吉澤さん。

気さくで明るい性格は、ファンも応援に力が入る

右から左から、相手コートに打ち込まれるスパイク。Ⅴリーグの選手の中では173cmと小柄ながら、空中でのバランスのよさと「技」に生かし、相手の裏をかいて得点を重ねる。その器用さゆえに、バレーボール界では、「フライングアーティスト」と称されている---荒川区出身でⅤリーグ武富士バンブーに所属する女子バレーボール選手・吉澤智恵さん。

母親を見て始めたバレーボール


コートで時折見せる笑顔。チームをリードして得点に結びつける

「バレーを続けてきて、いまが一番楽しい。やればやるだけ強くなれるから」という吉澤さんがバレーボールを始めたのは、ママさんバレーの選手だった母親の影響があった。
小さいころから母親の練習を見に行っては、ボール遊びやバレーボールの真似事をしていた。尾久宮前小学校4年生のとき、決勝戦に進出した母親のチームの応援に行った。みんなが注目するエースだった母親が、コートから手を振ってくれた。「それがとてもかっこよくて印象的でした。遊びではなく、母と一緒に本当のバレーボールがしたいと思ったのです」と語る吉澤さん。
間もなく、全国でも屈指の葛飾区の強豪チーム「東金町ビーバーズ」に入った。「みんな、ほかの子には絶対負けたくないという気持ちで練習していました。小学生ながら切磋琢磨(せっさたくま)するチームでした」と思い返す。吉澤さんの原動力も「負けず嫌い」。幼稚園のころ、鉄棒ができないからと、暗くなるまで公園で練習した。そんな吉澤さんはバレーでも試合で負けたり失敗するたびに"強くなりたい"、"勝ちたい"という思いを人一倍持って努力した。そしてめきめき腕を上げ、チームの中でも目立つ存在になっていった。
その小学生のとき、Ⅴリーグで活躍する選手や憧れのロシアの一流選手たちに会う機会があり、"コーチ"もしてもらった。「そのとき、私も『あのⅤリーグの舞台にたってみたい』と思いました」と、吉澤さんはきっぱり言う。

休日は地元の商店街でリフレッシュ

共栄学園中学校・高校でバレーを続け、高校3年のとき、念願のインターハイに出場が決まった。しかし、バレーはつらいこと、厳しいことがたくさんあった。そのインターハイ前に、監督に怒られて練習をボイコット。本気で「やめたい」と思った。応援してくれていた母親も、もう「頑張れ」とは言わず、「ここまでやってだめならもういいから」と言われた。肩の荷が下りたように「もうちょっと頑張ろうかなって思いました」と、吉澤さんを一回り大きく成長させる出来事だった。
武富士バンブーでのポジションはレフト。最初からレギュラーではなかった。しかし、左からだけでなく、右からも、センターからも相手コートにスパイクを決められる器用さで、いまでは誰もが認めるチームのエースだ。
「練習のメニューも話し合って決めていく。やればやるだけ伸びて、好成績として結果が出るから楽しいのです。選手同士のコミュニケーションもうまくとれています」と、試合中の厳しい表情も消えて、笑顔が絶えない。
1月のⅤリーグ開幕までに完成させたいという新しい技。その練習の合間の休日には、地元に帰ってエネルギーを蓄える。「商店街は心が和んで、ほっとします」という荒川区大好きの吉澤さん。「見かけたら声をかけて応援して欲しいですね」とはにかんで言った。